ひとりごと☆+゜山と空と大地に囲まれて・:*:・゜☆。・:*:・゜・:*::

5年前に田舎に越してきた35歳の主婦です。同居の大変さもなんとか乗り越えようやく家族みんなが穏やかに♪改めて自然はいいなあ〜と思う今日この頃♪かわいい 娘同様のワンちゃん2匹とのんびりと暮らしています。

鉱山の歴史(跡地)

神岡鉱山のある山の名前は何だろう?とふと思いつき
栃洞で検索すると

こちら、画像が判り易い。

廃墟の謎が少し透ける感じ?

このサイトもちょっと衝撃。

ものすごく広大な敷地の中、今から何十年、いや、何百年も前からの
施設が崩壊。
1874 年 三井組が大留・前平・蛇腹・鹿間の各坑(栃洞坑)を買収し、鉱山経営を開始。
三井金属のホームページの史表にある。

蛇腹・・ってなんだか蝮みたいな地名?
ジャバラだそう。あのアコーデオンみたいなのをじゃばら、というんだっけ。。。

神岡にそんな山?があるんだなー。

あとこんなサイトも発見。あるものですねー。前のよりお勧め。

このサイトは歴史も良く判る。

養老年間    神岡に銅山があったとの記録が残っている   
明応年間    和佐保銀山(後に栃洞)が開坑される。
永禄7年    江馬氏が東町城(現神岡城)を建設
天正       飛騨金山奉公茂住宗貞が和佐保銀山を管轄
延宝年間    和佐保銀山が開坑。以後200年ちかく産銅
文政2年     和佐保銀山が政府御手山となる
         鉱山の悪水によると思われる農業被害の報告
安政2年     幕府が貨幣改鋳のため、高山で銀の精錬開始。
安政5年     和佐保に荒吹所が建設される 
慶応2年     幕府の衰退とともに鉱山産業にも陰りがみえる
明治5年    借金の担保を理由に三井組が鉱山の権利を取得を始める。
明治18年    日本鉱業会誌に「飛騨神岡の鉱山」が良鉱山と紹介される
明治20年10月 神岡の鉱山所有権はすべて三井組のものとなる
明治23年    煙害の住民運動
          精錬所に鉱毒飛散除去室の設置
明治28年    栃洞坑、通洞開通
          綿火薬使用
明治29年    栃洞に私立小学校創立される
明治30年    ペルトン水車原動巻上機、スライス堀、坑内照明といった、さまざまな新技術が取り           入れられ採堀作業に目覚しい発展が見られる
         一方で金本位制実施による銀価格低下で打撃を受ける
明治34年    片面扉付鉱車登場
明治37年    日露戦争で鉛価格が上昇
明治38年    通風機が坑口に設置される
明治39年    亜鉛鉱の精錬、国外輸出を開始
明治40年    採鉱跡充填空洞堀が始まる
明治45年    主要運搬抗道が完成
          雷管を使った採鉱が始まる
大正10年     イタイイタイ病へとつながると思われる奇病の報告          
坑内電車使用開始
大正14年     立坑260m〜0m完成
          照明に電灯を使用開始
昭和10年    栃洞選鉱工場完成
昭和11年    坑内、坑外に電気機関車が導入される
昭和12年    神岡鉱山国防婦人会初会
昭和15年    栃洞選鉱第二工場完成
昭和21年    神岡鉱山労働組合発足
昭和23年    神岡高等鉱山学校設立
昭和25年    神岡鉱業(株)発足
昭和25年    神岡町誕生
昭和27年    三井金属鉱業(株)に名称変更
昭和30年    富山新聞にて初めてイタイイタイ病の記事
昭和31年    神岡町にて全国鉱山所在地市町村連絡会議
昭和32年    イタイイタイ病原因の重金属説(荻野氏)
昭和34年    地圧計、ボーリング技術など最新の技術
昭和36年    イタイイタイ病カドミウム説(荻野、吉岡氏)
昭和37年    栃洞坑、下ノ本坑休山
昭和38年    神岡町危機突破大会
昭和42年    初のイタイイタイ病被害補償要求
昭和43年     厚生省によりイタイイタイ病が「公害病」と認定

昭和46年6月  イタイイタイ病第一次訴訟が富山地裁裁判所にて行われ、三井敗訴
昭和47年    泉平,南平診療所が廃止となる
昭和48年    第1次合理化、組織改編
          緑化運動がはじまる
昭和52年3月   栃洞中学校閉校
昭和52年12月  栃洞保育園完成
昭和53年     第二次合理化 約500人が退職
           特定不況地域に神岡が指定される
           山田中学校、栃洞中学校が統合し神岡中学校となる
昭和54年     通洞,泉平の社宅を廃止,
昭和56年1月   56豪雪
昭和58年3月   町立栃洞小学校閉校
昭和59年7月   東大宇宙線研究所神岡地下観測所観測開始
昭和61年     三井金属鉱業(株)が神岡鉱業(株)に別会社化
           3月栃洞保育園休園
昭和63年     社宅はすべて夕陽ヶ丘,旭ヶ丘へ移転
昭和62年      ニュートリノの観測に成功
平成4年11月    栃洞の前平地区が実質的に無人となる
平成11年      文化庁が産業遺産として調査開始
平成13年     鉱量の枯渇、岩盤状況、品質の悪化を理由に、鉛、鉛鉱石の採掘を中止。
平成15年2月     神岡町は飛騨市に統合
平成19年11月   神岡鉱山地下にデータバックアップ基地構想


大正10年にイタイイタイ病が発病報告があり
昭和30年に新聞に初めて掲載・・・って・・・
大正は14年までだから
約、34年間放置!!

そして昭和43年に公害と認定されるまでに47年もたっている!!

なんてことだろう。その間何人の方が苦しみ、死に至ったんだろう?

http://www.env.go.jp/policy/hakusyo/img/148/tb2.5.3.2.gif
参照
富山市民のみ、のよう。
昭和47年までのデータで123人認定、うち死亡83名とある。

でもどんなに検索してもそれ以上の数字は出ないのが不思議。
しかも今だに被害者はいるそう。

この数字よりははるかに多いと想像できる。



もし、地元の人間が被害者ならどうなっていただろうと思う。
歴史にもし、はないのですが。



公害により一気に衰退していく哀しい鉱山の姿が
目に浮かぶ午後・・・。


神岡はなんだか奇跡の町のような気がしてきた。

良く言えば宇宙の、地球の、様々な恩恵を多く与えられているし、
それを活かすも殺すも
そこに暮らす人々のこころ・・・なんだと思う。



特別な町だからこそ、
世界中が放ってはおかないし、いいものも悪いものも吸い寄せられるだろう。


全てを透明にして前に進むことが求められている気がする。

神という名前にはこだわらないけど
ここは、何か特別な場所のような気がする。



















  1. 2008/09/05(金) 15:00:02|
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やっぱり地震

やっぱり地震だった。


情報発表時刻 2008年9月2日 18時59分
発生時刻 2008年9月2日 18時53分ごろ
震源地 岐阜県飛騨
緯度 北緯35.7度
経度 東経137.1度
深さ 10km
規模 マグニチュード 2.7
震度1 岐阜県 岐阜県飛騨 岐阜県美濃中西部 下呂市 郡上市 下呂市金山町 郡上市八幡町旭


去年かおととしに一度遭ったっきり。殆ど地震はない地域。

鳥達の感度は素晴らしい。






昨日は一日なんだか眠くて
畑に出ようと思ったり、あれをしよう、と思うことも出来ずに
昼も2時間もお昼寝・・・。

子供が遊びに来て無理やり起きた感じ。だるさはないけど
気力がない感じだった。


そしてちょうど地震が起きた19時頃、主人と衝突。
(震度1だったから体感はなかったけど)

主人にイライラとして夫婦喧嘩?のような感じに・・・。
(主人もイライラして細かいことで文句を言ってきたので余計)

義母のこともあるので余計ストレスが溜まっていたのかなー?
とその時は思っていた。

義母はいつも一気に悪くはならなくて1か月くらい、
ボーダーを彷徨う感じなのでその時が一番家族としては
振り回され易く、シンドイ時期。

もちろん、今まではその経過後入院という決まったコース?だったけど
今回はそうならないことを願うけど、
ボーダーというのは
普通と異常の中間なので
うっかり普通の感覚で接すると痛い目に合うし、
かといって完全におかしいわけでもないので
極力関わらない、に徹するしか自分を守る方法はない感じ。


でも明らかに地震(の元)による
精神的なイライラだったと今朝地震を知って思った。

いつもしないようなイライラで、言葉が出てこなくて
どこにぶつければいいか分からなくて
頭を何度も何度も爪で掻いてしまい血は出なかったけど(汗)
痛かった・・・そりゃーそうよねー


今朝?の夢は
カミオカンデという言葉。

百の歯にも関係あるみたいな夢だった。
あんまりよく覚えていないけど

百の歯が大切な前臼歯が二本とも欠けたことは
こないだの雲のカとムとハ、
あとカミオカンデと関係がある・・・・ということを
認識する夢だった。


そういえば、繋がっている気もするなー。


百の場合は牛の爪を噛んで欠けた。

人間でも四足(豚、牛など)を食すことはいけないと思うので
私は今年に入ってからは鶏肉は少しだけで肉食は殆どしていない。

それなのに頂き物だからといって牛の爪を与えたことは
私の中の欠如だったと改めて思う。

自分は食べないのに百に与えてしまったから。
(まぁ犬は四足だしドッグフードにも入っているし
それほど神経質になっても意味ないかなーと思った)

牛の気持ちを思えば、爪をはがされて玩具にされるのは
とてつもない侮辱だろう。(ごめんなさい、牛さん!)

病院の先生にも「よくあるけど絶対に犬には与えないでほしい」と
言われ、大大大反省。(遅いけど)



カミオカンデと地震も
繋がっていると感じる。


大きなことにならなければいいんだけど
来年の夏から暗黒物質の研究、とあったけど
1年も前にそれを公表してるのは何故だろう?

本当はもっともっと何か進めている気がしてならない。


世界中の研究機関が関わっているんだし・・・。

















  1. 2008/09/03(水) 09:35:18|
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9・2

昨日の異変?後、特にこれといった事は無くてホッ。?

でも何が鳥や虫や雲たちがそうしたか、やっぱり気になる。

カミオカンデ、で何か動きがあったのかなー?
と今朝からカミオカンデの動きがまた気になって仕方がない。


そういえば百も昨日はイライラしていて空に噛みつこうとして
一瞬ヒヤっとした。

地震雲?は初めて神岡で見た気がしたので余計に気にはなります。



今朝の空(天の)はパステルカラーで何とも淡い感じの
優しい?空でした。というより空の色と雲の勢いというかエネルギーが
ない感じにも見えました。快晴?なのになんだか微妙な空。
SN390349.jpg
何か膜がかかったような空で、?でした。


昨晩は寝苦しいほどの暑さでした。
朝起きた瞬間、虫の鳴き声が一斉にして、うるさいなーと思ったけど
後から考えると、いつもはもっと静かな朝な、気がする。
(寝ぼけているので確かではないけど)


主人も何かおかしいなーと
昨日の仕事帰りからずっと言っていたので
きっと何かがおかしいいんだとは思うけど。



地震情報では
昨日
2008年9月1日6時44分頃
震源地(震央) 長野県中部(北緯36.4度 東経138.1度 深さ10km)
規模 マグニチュード 2.7
震度 長野県
震度1 千曲市


とあり、神岡からも近い位置(ほぼ隣接)にあるのですが昨日の早朝だったし
関連はないかもしれません。

今後のシルシ?に注意してみます。

そういえば
昨日、9月1日の月は月齢1の日だった。(新月=見えない月。の次の日)
何かが始まったのかな?





*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。



昨夜は百のオペ、最終日。(2本目)

1歯目はおよそ10年ぶりのセメント練りや形成で
ドキドキしてしまい、要領も悪く主人に
「下手くそーーっ」と怒られながら汗汗していましたが
昨日はスムーズに20分ほどで完了。

百は相変わらず、全身麻酔をしているかと思うほど
微動だにせず、心臓の鼓動さえ昨日は殆どありませんで。
唾液まで殆ど出さずに素晴らしい患者さんでした(笑)

SN390348.jpg

治療後。
SN390344.jpg SN390346.jpg

術後の放心状態の百
SN390347.jpg

私何故、歯科医院で7年近く勤めていたのかが
わかりました。この日のためだったのかもしれないなー?


薬を送って下さった友人に心から感謝。
ありがとうございます♪











  1. 2008/09/02(火) 10:37:30|
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カミオカンデ(スーパー)の続き

2001年11月に起きた光センサー破壊の事故について
http://www.kek.jp/newskek/2002/janfeb/k2k.htmlより

当時、スーパーカミオカンデ実験装置は7月中旬から行なっていた故障した光電子増倍管の交換を無事に終え、実験再開に備えて水を8割程度まで満たしたところでした。


水中カメラの映像はさらに衝撃的であり20インチ光電子増倍管の巨大な電極がまるで押し潰されたようにひしゃげ、架構から飛び出し垂れ下がっていました。底面付近では粉々になったガラスが降り積もり光電子増倍管の残骸が散乱していました。この時の研究者によると、テレビで見たニューヨーク貿易センターの残骸の情景を思い出したとのことです。 光電子増倍管が壊れた時の衝撃はすさまじく、後にわかったことによると装置から8.8km離れた京都大学防災研究所の地震計が事故を捉えていたということです。


(1)最初の光電子増倍管はなぜ割れたのか?
(2)破壊の連鎖はどのようにして起きたか? またそれは再現可能か?

等々。

まずはこれらの問題を一つ一つ解決するためのテストが行なわれてきました。現在、(1)、(2)の究明はほぼ終り、事故原因の全容が明らかになりました。予想通り、1本の光電子増倍管がまず破壊されて衝撃波が発生し、その衝撃波がとなりの光電子増倍管を破壊しました。そこでまた衝撃波が発生するという、連鎖反応が起ったのです。

それではなぜ最初の光電子増倍管が壊れたかというと、装置底面の改修作業時のいずれかの時点で目に見えないストレスがガラスにかかり、そのストレスがそのまま残って水圧に耐えきれずに破壊に至った、という可能性がもっとも高いことが分かりました。



光電子増倍管の連鎖的な破損は以下のようなプロセスで起ったと考えられます。

光電子増倍管は大きな電球のようなガラス球であり、ガラス管の内部は真空になっています。最初の光電子増倍管が交換作業の際に受けたストレスなどの原因により一瞬にして水圧により破壊され、そのために衝撃波が発生し、次々と隣の光電子増倍管を連鎖的に破壊しました。




*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。

最初の光電子増倍管が交換作業の際に受けたストレス
ということは事故があったのが2001年11月12日だから
その光センサーは7月から4〜5か月ほど、そのストレスを溜めていたということ!


ストレスがたまって・・・・と
記事中に堂々と書いてあるところが気になった。

ストレスって
こころある生命体にかかるもの。
そのこころある生命体の定義はどうなっているんだろう。

今の世の中では
原子や素粒子やそれによって作られる物質にこころがあるなんて
一言も言っていない気がするのですが・・・。

それなのにストレスにより・・と断言する科学者(事故調査チーム)は
暗に物質=原子&素粒子にこころがあると言っているようなもの。
(私はもちろん?そう思っていますが)

>こうした作業にKEKのメンバーも全面協力しています。KEKの研究者が、何故これほどまでにスーパーカミオカンデの再出発に関わっているのか?



ストレスだとしたら・・・・
それが破損の原因だという可能性がもっとも高いことが分かったのなら
何故そのまま、研究を進めるのでしょうか?

シグナルはちゃんとあったと
私は感じます。




*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。





先日雲を見ていたら
どう見ても
カとムとハに見えたと書いた。(8月27日雑草の続きより)意味判らないなーと思っていた。

カムハ。

噛む歯。

カミオカンデ。?




私は神岡が大好きだし骨を埋めるつもり・・・・
だからこそ
大切なこの土地のこと、
よく知りたい、真実を知りたい・・・
ただそれだけの気持ちです。


そうそう
2001年といえば
米国の同時多発テロも同年9月11日でしたね。

20世紀が終わり新たな時代の幕開けと共に
私たちの住む世界では
様々な膿(ストレス)が噴き出てきて
今年で8年目。

浄化するためには
どんどん膿(ストレス?)を出していかなければならないと同時に
痛みと苦しみを全ての人が感じていく時代の真っただ中にいるということを
改めて認識し、
痛みの原因を感じていけたらと思いながら
ひとりごとをつぶやきます。

















  1. 2008/08/31(日) 12:15:14|
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カミオカンデと神岡鉱山

やっぱりカミオカンデが気になり
昼からネット徘徊。

途中から
神岡最大の産業?の神岡鉱山のことも気になり
カミオカンデが鉱山の跡地に創られたこと(!)と
今までの経緯、今後のことが何か繋がっているような気がして
ちょっと調べてみました。

事実、史実・経緯として繋がっているし。




2001年11月13日 東大 宇宙線研究所 神岡宇宙素粒子研究施設】

岐阜県神岡町にある東京大学宇宙線研究所 神岡宇宙素粒子研究施設の観測装置「スーパーカミオカンデ」で 12 日、観測の目にあたる光センサー(光電子増倍管)数千本が損傷する事故が起きた。何らかの理由で 1 本が壊れた結果、水圧の不均一が生じて連鎖的に残りが壊れた可能性があるとみられている。同日、早期の原因究明に向けて事故調査委員会が設置された。

ちなみに同時期の事件事故。
2001年11月12日 ニューヨークで米旅客機墜落


2001年11月13日 東北・上越・長野新幹線一時全面ストップ  変電所トラブル




2001年6月25日 asahi.com (2001.06.19)】
太陽内部でできる素粒子「太陽ニュートリノ」に質量があることを示す観測結果を得たと6月18日、カナダ、米国、英国の共同研究グループが発表した。東京大学宇宙線研究所などのグループが1998年、ニュートリノに質量があると発表した結果を別の観測で裏付けたことになり、ニュートリノの質量問題は大きく決着に近づいた。膨張か収縮か、宇宙の運命を決める宇宙全体の質量をめぐる論議にも影響を与えそうだ。

http://www.astroarts.co.jp/news/2001/06/20neutrino/index-j.shtml



実は小柴先生よりも少し前に,アメリカのデービス博士がこの太陽ニュートリノの発見をしていた。
やはり,山奥の鉱山に巨大なタンクを作って観測していた。
小柴先生の装置とはすこし異なる。
2002年に,小柴先生と同時受賞したが,二人が同じ結果を出したので,太陽の中で核融合が起こっていることが完全に証明された。



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以下、神岡鉱山の100%親会社である三井金属のホームページより

こうして1983年に完成されたのが、カミオカンデだったのです。地下1000mという場所に、当時としてはとてつもなく大きな空間が築かれました。わたしたち三井金属がこれまで培ってきた鉱山技術は、この時、岩盤エンジニアリングとして新たな実績を生むこととなったのです。

http://www.mitsui-kinzoku.co.jp/more/kouzan04.html
http://www.mitsui-kinzoku.co.jp/more/kouzan02.html

1983年(昭和 58 年) 東京大学宇宙線研究所 カミオカンデ建設
1986年(昭和 61 年) 坑内重機整備工場建設
1989年(平成 元 年) 京都大学 ジオモトグラフィー実験研究
1990年(平成 2 年) 岩盤内圧縮空気貯蔵(CAES)実験
1991年(平成 3 年) 岩盤実験研究施設建設
東京大学宇宙線研究所 スーパーカミオカンデ着工
1992年(平成 4 年) 地下減圧室建設
1993年(平成 5 年) 東京大学模擬高地トレーニング研究
1996年(平成 8 年) 東京大学宇宙線研究所 スーパーカミオカンデ完成
2002年(平成 14 年) 東北大学ニュートリノ科学研究センター カムランド建設


神岡鉱山の歴史
720 年頃 黄金を産し天皇に献じた口伝あり。
1589 年 越前大野の城主、金森氏の家臣、糸屋彦次郎(後の茂住宗貞)が鉱脈を発見。
金山奉行として茂住鉱山、和佐保銀銅山を経営した。
1600 年頃 飛騨地方は江戸幕府の天領となり、文化14年(1816)には前平坑を幕府直轄の鉱山(御手山)とした。
1874 年 三井組が大留・前平・蛇腹・鹿間の各坑(栃洞坑)を買収し、鉱山経営を開始。
1886 年 鹿間谷で洋式鉛製錬を開始。
1889 年 茂住坑を取得し、経営は神岡全山に及ぶ。
1905 年 鹿間選鉱場建設。
1927 年 鹿間選鉱場に優先浮遊法を採用。
1943 年 亜鉛電解工場完成。
1968 年 栃洞坑にトラックレス・マイニング法が我が国で最初に導入。
1986 年 三井金属より分離・独立。神岡鉱業株式会社設立。
2001 年 神岡鉱山鉱石採掘中止

wikipedeiaより
神岡鉱山(かみおかこうざん)は、岐阜県飛騨市(旧吉城郡神岡町)にある亜鉛・鉛・銀鉱山。奈良時代養老年間(720年ごろ)に採掘が始まり、明治7年(1874年)に三井組が経営権を取得、近代化により国内初のトラックレス・マイニング法を取り入れるなど、大規模採掘を続けていたが、2001年6月に鉱石の採掘を中止した。三井組経営からの総採掘量は、約130年間で7,500万トンにも達し、一時は東洋一の鉱山として栄えた。

イタイイタイ病
神岡鉱山の亜鉛鉱石の主要鉱物である閃亜鉛鉱に含まれるカドミウムを原因とする、富山県神通川流域で発生した大規模な公害である。この公害により最も大きく発生した被害は、布団をかぶせただけで骨折し「痛い、痛い(いたい、いたい)」と叫んでしまう「イタイイタイ病」と呼ばれる公害病である。患者が神岡鉱山を操業していた三井金属鉱業株式会社(当時)を相手取り集団提訴し、1971年富山地裁で患者被告が勝訴、名古屋高裁でも勝訴した。日本の四大公害病裁判において、最初の原告勝訴判決で、その後の公害病裁判に大きな影響を与えた。

補足
16世紀から採掘が始まった神岡鉱山は、1874年以降、三井財閥の手で近代的な鉱山として生まれ変わり、国内では不足がちな亜鉛・鉛資源の安定供給源として重要な役割を果たす。かつては直営の鉱山鉄道が笹津〜猪谷〜茂住〜鹿間〜神岡間などで運行されていた。
 だが、国鉄が神岡鉄道(猪谷〜神岡)を開業させた1966年頃から事情が変わってくる。神通川下流部の富山県婦中町などの農村でイタイイタイ病被害が深刻になり、患者団体が三井金属鉱業株式会社を相手取り集団提訴していた。1971年に患者側勝訴の判決が出て、カドミウムの処理に巨額の資金を投じなければならなくなる。


明治時代初期、神岡の鉱山採掘は未だ零細な山師がそれぞれ数坑を持ち行うといった形態であったが、その後三井組が次々にそれらの山師から坑を買収して行き、ついに1886年(明治19年)には和佐保すべてを、ついで1889年(明治22年)には茂住のすべてを手に入れ、これをもって神岡鉱山全山が三井の所有となったのである。以来三井は神岡鉱山に多くの資本を投入して最先端の技術による大規模な採掘を行うところとなるが、のちにはカドミウムが高原川から下流の神通川に流入し、イタイイタイ病を発生させることとなった。



☆wikipedeaより追加
神岡鉱山の採掘及び精錬加工によって、鉱山町としての神岡町は隆盛と衰退を共にした。鉱山最盛期である1950年代後半〜1960年代前半は町民が2万7,000人以上にふくれあがったが、鉱山の合理化、及び、採掘中止に伴い転出が続き、現在は1万1,000人ほどまで減少している。ちなみに、神岡町にある神岡城は昭和45年に三井金属鉱業(株)神岡鉱業所創業100周年記念として建設されたもので、現在も神岡鉱山の施設・鉱石などが展示、紹介されている。町の各所には、鉱員住宅や集会場、共同浴場などが点在しており、鉱山マニアや廃墟マニアを惹きつけている。



ちなみに以前も書きましたが
映画館が5つ?程あったり
その当時の人気芸能人は殆どここ神岡にコンサートや公演などで
集まっていたそう。

義母曰く、美空ひばりさんだけはさすがに来てくれなんだなー
残念やった・・・とこぼしてました。




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スーパーカミオカンデは東京大学宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設を中心に、日本、米国、韓国、中国、ポーランドからの32の大学、研究機関との共同研究で行われている。
スーパーカミオカンデで研究されている、ニュートリノの研究の歴史についてお話します。ニュートリノは数十年前に発見され、ニュートリノ研究は今、科学の最前線となっている。



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ニュートリノの歴史

「1930年ニュートリノが考え出される」オーストリアの物理学者パウリは放射性元素の研究をしていた。

原子核が出す放射線(ベータ線)のエネルギー分布を研究しているとき、パウリはエネルギーがどこかへ消えてしまうことをどう説明すべきか悩む。

そして「電気を帯びていなくて、知らないうちにどこかへ飛び出してしまう、幽霊のような粒子があると考えるとつじつまが合う」と考えついた。
このとき、パウリはこの粒子を「ニュートロン」と呼んでいましたが、これが今日のニュートリノだったのです。ニュートリノは本物が発見される前に、科学者の頭の中で生まれた。


「1933年ニュートリノに名前が付く」イタリアの物理学者フェルミは、パウリの考えた粒子について研究しベータ崩壊の理論を構築していました。1932年に現在のニュートロン(中性子)が発見されていましたので、幽霊粒子のほうを「ニュートリノ」と名づけ直しました。「ニュートラル」は中性、つまり電気を帯びていないという意味、「イノ」はイタリア語で小さいという意味です。

「1956年初めてニュートリノが発見される。」アメリカの物理学者ライネスらは原子炉から生まれるニュートリノを捕まえることに成功しました。命名から20年以上経って、やっとニュートリノは発見されたのです。

「1970年代太陽からのニュートリノを観測」1969年からアメリカの物理学者デイビスが太陽ニュートリノの観測を開始しました。長年実験を重ねた結果、ニュートリノは理論からの予想の1/3程度しか発見されませんでした。このことは、「太陽ニュートリノ問題」と呼ばれ、その後約30年間にわたる物理学上の大問題となりました。

「1987年超新星爆発からのニュートリノを観測。」1987年1月、カミオカンデグループが太陽ニュートリノの観測を開始。
そのわずか1ヶ月後、16万光年彼方の超新星1987Aからやって来たニュートリノを捕まえました。
ここから「ニュートリノ天文学」という新しい学問が始まったのです。

「1989年太陽から来るニュートリノが足りない」カミオカンデグループが太陽ニュートリノの観測を2年間続け、その数が理論より少ないことを発表しました。デイビスとカミオカンデの2つの観測で同じ結果がでたので、太陽ニュートリノの研究がより活発に行われるようになりました。

「大気からのニュートリノの成分比がおかしい」

同じ頃、カミオカンデグループは観測を続けていた大気ニュートリノのデータを調べ、電子ニュート
リノとミューニュートリノからなる成分比が理論の予想と違っている事を発見しました。このことは、後のニュートリノの重さの発見へとつながる重要な結果でした。

「1996年スーパーカミオカンデが完成」
4年以上の歳月をかけて、世界最大、世界最高精度のニュートリノ観測装置「スーパーカミオカンデ」が完成しました。
そしてニュートリノ研究の新世代が始まったのです。

「ニュートリノには重さがあることを発見」スーパーカミオカンデグループは、ニュートリノに重さがある、ということを世界で初めて、発見しました。
それは、素粒子物理学上の基本的な理論の見直しを迫る、たいへん重要な発見でした。

パウリの予言から70年余り、ニュートリノのことは少しずつ解明されてきています。
これからもスーパーカミオカンデはニュートリノの謎を解明していきます。

http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/index.html
公式ホームページより。




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どう繋がっているか、
まだ何となく感じるだけなので、ぼやけた感じ・・・。
また気になることがあれば追って追記していきます。


それにしても神岡は
日本一の岩盤の固さを誇ったり
東洋一の亜鉛発掘鉱山だったり
宇宙最前線科学の発祥だったり
自然、山、さまさま、の歴史と文化なんだなーと改めて感慨深い。

確かに鉱山のお蔭で人々の暮らしは豊かになり
今でも鉱山といえば、まだまだ普通のサラリーマンよりは
優遇されているようだし、歴史的にも飛騨を象徴する大産業では
あったと思うけれど

その史実と共に
事故や公害が起きたり、衰退したり、廃止になる過程があり、
そのこととカミオカンデと地球(宇宙)の叫びとは無縁ではない気がしてくるのだけれど・・・・・。

(よそ者ノ私が書きたい放題ですみませんw愛知県出身。)












  1. 2008/08/30(土) 15:48:05|
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