真我とかそういうものを求めていた時があった。
でも
いずれも
結局は心ではなかった気がする。
悟り・・・・・
なんか今嫌悪感、この言葉。
悟りたい〜ほど愚かな想いはないと思う。
そして
「悟れるからこっちにいらっしゃい」
それが宗教で
「信じないと幸せにはなれないよ」
というのが根本の思い。
この思いがどれほど
人を不自由にし、縛ってきたんだろう。
「地獄に落ちる」と言われれば昔の精一杯生きている
素朴な人々は誰だって信じてしまうだろう。
そして
幸せになりたい・・・のは人の本能で。
その本能を巧みに利用し、
人を導く世界。
何も●●●が悪いなんて思わない。
仏教の教えが悪いとも思わない。
キリスト教も仏教も
学べたことを嬉しくも思う。
学んだから今があり、今の想いにたどり着けた。
そして何一つ悪い教えは無かったと思う。
ただ今の私の心には響かなくなっただけ。
大元の意志にも光と闇がある。
そして宗教には闇の支配が必ず目に見えない次元である。
こころのきれいな人ほど支配をされやすい。
大本の出口ナオさんや王仁三郎さんは
もうずっと以前から大元の光から教えられている。
最後まで闇が覆い破壊し、
残りの1%で光が導くと。
奇跡といえば
私が今こういう気持ちになっていることも奇跡だと思う。
どっぷりは浸からない、浸かれない性格が良かったんだと思う。
私は
小学校の時から
先生や大人から
「感受性の強い子供」だと言われてきた。
だからあの頃の私は宗教なんて全く必要がなく。(当然だわ)
ただある時から
自分じゃない自分がエネルギーを発揮していた。
そして救いを求めた。
そして宗教だった。(いい加減だけど。よかった)
私が親で娘がいたら
何の宗教にも俗してほしくない。
自分を大切にしてほしい。
それだけ。
そしてできるなら
真実を知る人間であってほしいと願うかも。
- 2008/07/15(火) 12:03:18|
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今朝こんなコメントをいただきました。
初めて投稿させて頂きます。●●です。
ここでのお話、きっと●●●●●の方ではないでしょうか。●●●=笑顔だからです。
宗教とは、言い換えると宗の教えと書きます。つまり基本の教えです。残念ながら日本の公の教育では
この基本の教えを教えてくれません。その基本とは、今生きている自分、自分が頂いている命、この命は
どこからきたものなのか。間違いない事実は、両親から頂いた命であり、ご先祖様から頂いた命です。
先祖供養・親孝行とは、言い換えると自分の命の元に対しての「感謝行」であり「報恩行」です。
そして、仏教で一番大事にしていることが、「心を清める」ということです。どこまでもどこまでも心を
清めていく。心が清まるとあらゆる可能性が開けてまいります。中でも大いなる命に生かされていることを
実感できる。言い換えますと大いなる命と一体であることが、心底わかってきます。これを仏子の自覚と
いいます。法華経とは、いかに自分という存在はかけがえのない使命を持ってこの世に生かされているという
仏子の自覚を教えたお経です。
縁起観おわかりでしょうか。これは苦を解決する見方と同時に「成功法則」です。
「自分が変われば相手が変わる」「敵は誰ですか?自分です」。出会うあらゆる現象を自分を高めていく「縁」
と捉え、自分にベクトルを合わせて自分が反省・実践していく。その中に無限の成長がある。
この信仰は、非常に自由度の高い信仰です。そして特長は「なるほど」「なるほど」で理性でもしっかり納得
できることです。
:*:・゜☆。・:*:・゜・:*:::*:・゜☆。・:*:・゜・:*:::*:・゜☆。・:*:・゜・:*::
コメントにキーがかかっていないようなので掲載させて頂きました。
私のブログは基本的にコメントはあまり求めていないのですが
(だってひとりごと・・だから)
ちょくちょくそのひとりごとに対してご意見を伺うことがあります。
そして今朝のコメントには悪意などは感じないものでしたが
心は残念ながら伝わってきませんでした。
本来なら掲載するべきコメントではありませんが
今後の私の課題でもあるので
きっちりと対応させて頂きたいと思います。
まずお断りとして、今の日本人で仏教を悪く言ったり思う人はまずいないと思います。
それでは
この御方に今の私の率直な心をお伝えします。
まず
>宗教とは、言い換えると宗の教えと書きます。つまり基本の教えです。
これについて、無宗教のかたには基本が無いということですか?
>基本とは、今生きている自分、自分が頂いている命、この命は
どこからきたものなのか。間違いない事実は、両親から頂いた命であり、ご先祖様から頂いた命です。
基本とは親とご先祖に感謝すること・・・
私にはそれが基本だとは思いません。
何故なら私には残念ながら子供がいませんがもし授かれば
その子供に感謝などしてほしくないと思うからです。
私が感謝することは自然にあり得ると思いますが。
命を授かるというのはそんな次元ではないと感じます。
生きたいという意志の顕れが現象化されたことが命の誕生です。
>先祖供養・親孝行とは、言い換えると自分の命の元に対しての「感謝行」であり「報恩行」です。
自分の命の元が親やご先祖・・・・
その元は?というのが今の私の求めるものです。
親に感謝先祖に感謝とよく宗教では言われますが
少なくとも私の親は
私が感謝することをむしろ煙たがる方でした。
「自分のことをちゃんとしなさい」
今それがよく判ります。
親に感謝するというのは自分が自分らしく生きること。それにつきる気がします。
私に子供がいれば私のことなんて踏み台くらいにして自分のいのちを
開花させてほしいと願うだけだと思います。
>そして、仏教で一番大事にしていることが、「心を清める」ということです。どこまでもどこまでも心を
清めていく。心が清まるとあらゆる可能性が開けてまいります。
これは仏教がなくては心が清まらないという表現でしょうか?
>中でも大いなる命に生かされていることを
実感できる。言い換えますと大いなる命と一体であることが、心底わかってきます。
これを仏子の自覚と いいます。
お釈迦様やご先祖様に生かされているのでしょうか?
>法華経とは、いかに自分という存在はかけがえのない使命を持ってこの世に生かされているという
仏子の自覚を教えたお経です。
仏子の自覚自体がよく判らないのですが
自分がかけがえのない存在だということや使命を持って生かされていることは
宗教が存在するのとあまり関係がないと思うのですが。
>縁起観おわかりでしょうか。これは苦を解決する見方と同時に「成功法則」です。
>「自分が変われば相手が変わる」「敵は誰ですか?自分です」。出会うあらゆる現象を自分を高めていく「縁」
と捉え、自分にベクトルを合わせて自分が反省・実践していく。その中に無限の成長がある。
成功法則=宗教なのですか?
敵は自分なのですか?だとすれば自分がかけがえのない存在と同時に
敵でもあり混乱しそうですね。
>この信仰は、非常に自由度の高い信仰です。そして特長は「なるほど」「なるほど」で理性でもしっかり納得 できることです。
「なるほど」と理性で納得?
理性?理性とはなんでしょうか?
自由度の高い・・ということは自由度は高ければ高いほどいいということ
のように見受けられますが
自由度が高くしかも法華経の教えが絶対・・なのは混乱しそうですね。
以上です。
申し訳ありませんが
過去記事を読んでいただいていればわかると思いますが
私は今
宗教自体に疑問を感じているのです。
なので宗教をお勧めするなら
心に伝わるようお願いいたします。
理性でなるほど・・・ってホント意味わからない。
こころ(魂)に響くもの、それだけを求めているのです。
ちなみに私は15年間、宗教に関心があるほうで
聖書や法華経にも目を通してきました。
- 2008/07/15(火) 10:57:54|
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