今日は久々の晴天。気持ちいいなーこの涼しい風とさわやかな空気感。
そういえば昨日の朝
近所の女の子が
「のりちゃん、遅くなってごめんねーー」
とプレゼントを持ってきてくれました。

お手紙付きで

覚えてくれていたのね

なんだか
こころがホワンとあたたかくなりました。
画像縮小したのに
そのままの大きさで出る・・・何故?
嬉しい気持の顕れ?かな?
(そのうち半分になるはずなんだけどなー)
- 2008/08/31(日) 13:56:48|
- ご近所付き合い|
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2001年11月に起きた光センサー破壊の事故について
http://www.kek.jp/newskek/2002/janfeb/k2k.htmlより
当時、スーパーカミオカンデ実験装置は
7月中旬から行なっていた故障した光電子増倍管の交換を無事に終え、実験再開に備えて水を8割程度まで満たしたところでした。
水中カメラの映像はさらに衝撃的であり20インチ光電子増倍管の巨大な電極がまるで押し潰されたようにひしゃげ、架構から飛び出し垂れ下がっていました。底面付近では粉々になったガラスが降り積もり光電子増倍管の残骸が散乱していました。この時の研究者によると、テレビで見た
ニューヨーク貿易センターの残骸の情景を思い出したとのことです。 光電子増倍管が壊れた時の衝撃はすさまじく、後にわかったことによると装置から8.8km離れた京都大学防災研究所の地震計が事故を捉えていたということです。
(1)最初の光電子増倍管はなぜ割れたのか?
(2)破壊の連鎖はどのようにして起きたか? またそれは再現可能か?
等々。
まずはこれらの問題を一つ一つ解決するためのテストが行なわれてきました。現在、(1)、(2)の究明はほぼ終り、事故原因の全容が明らかになりました。予想通り、1本の光電子増倍管がまず破壊されて衝撃波が発生し、その衝撃波がとなりの光電子増倍管を破壊しました。そこでまた衝撃波が発生するという、連鎖反応が起ったのです。
それではなぜ最初の光電子増倍管が壊れたかというと、装置底面の改修作業時のいずれかの時点で
目に見えないストレスがガラスにかかり、そのストレスがそのまま残って水圧に耐えきれずに破壊に至った、という可能性がもっとも高いことが分かりました。
光電子増倍管の連鎖的な破損は以下のようなプロセスで起ったと考えられます。
光電子増倍管は大きな電球のようなガラス球であり、ガラス管の内部は真空になっています。
最初の光電子増倍管が交換作業の際に受けたストレスなどの原因により一瞬にして水圧により破壊され、そのために衝撃波が発生し、次々と隣の光電子増倍管を連鎖的に破壊しました。
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最初の光電子増倍管が交換作業の際に受けたストレスということは事故があったのが2001年11月12日だから
その光センサーは7月から4〜5か月ほど、そのストレスを溜めていたということ!
ストレスがたまって・・・・と
記事中に堂々と書いてあるところが気になった。
ストレスって
こころある生命体にかかるもの。
そのこころある生命体の定義はどうなっているんだろう。
今の世の中では
原子や素粒子やそれによって作られる物質にこころがあるなんて
一言も言っていない気がするのですが・・・。
それなのにストレスにより・・と断言する科学者(事故調査チーム)は
暗に物質=原子&素粒子にこころがあると言っているようなもの。
(私はもちろん?そう思っていますが)
>こうした作業にKEKのメンバーも全面協力しています。KEKの研究者が、何故これほどまでにスーパーカミオカンデの再出発に関わっているのか?
ストレスだとしたら・・・・
それが破損の原因だという可能性がもっとも高いことが分かったのなら
何故そのまま、研究を進めるのでしょうか?
シグナルはちゃんとあったと
私は感じます。
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先日雲を見ていたら
どう見ても
カとムとハに見えたと書いた。(
8月27日雑草の続きより)意味判らないなーと思っていた。
カムハ。
噛む歯。
カミオカンデ。?
私は神岡が大好きだし骨を埋めるつもり・・・・
だからこそ
大切なこの土地のこと、
よく知りたい、真実を知りたい・・・
ただそれだけの気持ちです。
そうそう
2001年といえば
米国の同時多発テロも同年9月11日でしたね。
20世紀が終わり新たな時代の幕開けと共に
私たちの住む世界では
様々な膿(ストレス)が噴き出てきて
今年で8年目。
浄化するためには
どんどん膿(ストレス?)を出していかなければならないと同時に
痛みと苦しみを全ての人が感じていく時代の真っただ中にいるということを
改めて認識し、
痛みの原因を感じていけたらと思いながら
ひとりごとをつぶやきます。
- 2008/08/31(日) 12:15:14|
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やっぱりカミオカンデが気になり
昼からネット徘徊。
途中から
神岡最大の産業?の神岡鉱山のことも気になり
カミオカンデが鉱山の跡地に創られたこと(!)と
今までの経緯、今後のことが何か繋がっているような気がして
ちょっと調べてみました。
事実、史実・経緯として繋がっているし。
2001年11月13日 東大 宇宙線研究所 神岡宇宙素粒子研究施設】岐阜県神岡町にある東京大学宇宙線研究所 神岡宇宙素粒子研究施設の観測装置「スーパーカミオカンデ」で 12 日、観測の目にあたる光センサー(光電子増倍管)数千本が損傷する事故が起きた。何らかの理由で 1 本が壊れた結果、水圧の不均一が生じて連鎖的に残りが壊れた可能性があるとみられている。同日、早期の原因究明に向けて事故調査委員会が設置された。
ちなみに同時期の事件事故。
2001年11月12日 ニューヨークで米旅客機墜落
2001年11月13日 東北・上越・長野新幹線一時全面ストップ 変電所トラブル
2001年6月25日 asahi.com (2001.06.19)】
太陽内部でできる素粒子「太陽ニュートリノ」に質量があることを示す観測結果を得たと6月18日、カナダ、米国、英国の共同研究グループが発表した。東京大学宇宙線研究所などのグループが1998年、ニュートリノに質量があると発表した結果を別の観測で裏付けたことになり、ニュートリノの質量問題は大きく決着に近づいた。膨張か収縮か、宇宙の運命を決める宇宙全体の質量をめぐる論議にも影響を与えそうだ。
http://www.astroarts.co.jp/news/2001/06/20neutrino/index-j.shtml
実は小柴先生よりも少し前に,アメリカのデービス博士がこの太陽ニュートリノの発見をしていた。
やはり,山奥の鉱山に巨大なタンクを作って観測していた。
小柴先生の装置とはすこし異なる。
2002年に,小柴先生と同時受賞したが,二人が同じ結果を出したので,太陽の中で核融合が起こっていることが完全に証明された。
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以下、神岡鉱山の100%親会社である
三井金属のホームページより
こうして1983年に完成されたのが、カミオカンデだったのです。地下1000mという場所に、当時としてはとてつもなく大きな空間が築かれました。わたしたち三井金属がこれまで培ってきた鉱山技術は、この時、岩盤エンジニアリングとして新たな実績を生むこととなったのです。
http://www.mitsui-kinzoku.co.jp/more/kouzan04.html
http://www.mitsui-kinzoku.co.jp/more/kouzan02.html
1983年(昭和 58 年) 東京大学宇宙線研究所 カミオカンデ建設
1986年(昭和 61 年) 坑内重機整備工場建設
1989年(平成 元 年) 京都大学 ジオモトグラフィー実験研究
1990年(平成 2 年) 岩盤内圧縮空気貯蔵(CAES)実験
1991年(平成 3 年) 岩盤実験研究施設建設
東京大学宇宙線研究所 スーパーカミオカンデ着工
1992年(平成 4 年) 地下減圧室建設
1993年(平成 5 年) 東京大学模擬高地トレーニング研究
1996年(平成 8 年) 東京大学宇宙線研究所 スーパーカミオカンデ完成
2002年(平成 14 年) 東北大学ニュートリノ科学研究センター カムランド建設
神岡鉱山の歴史
720 年頃 黄金を産し天皇に献じた口伝あり。
1589 年 越前大野の城主、金森氏の家臣、糸屋彦次郎(後の茂住宗貞)が鉱脈を発見。
金山奉行として茂住鉱山、和佐保銀銅山を経営した。
1600 年頃 飛騨地方は江戸幕府の天領となり、文化14年(1816)には前平坑を幕府直轄の鉱山(御手山)とした。
1874 年 三井組が大留・前平・蛇腹・鹿間の各坑(栃洞坑)を買収し、鉱山経営を開始。
1886 年 鹿間谷で洋式鉛製錬を開始。
1889 年 茂住坑を取得し、経営は神岡全山に及ぶ。
1905 年 鹿間選鉱場建設。
1927 年 鹿間選鉱場に優先浮遊法を採用。
1943 年 亜鉛電解工場完成。
1968 年 栃洞坑にトラックレス・マイニング法が我が国で最初に導入。
1986 年 三井金属より分離・独立。神岡鉱業株式会社設立。
2001 年 神岡鉱山鉱石採掘中止 wikipedeiaより
神岡鉱山(かみおかこうざん)は、岐阜県飛騨市(旧吉城郡神岡町)にある亜鉛・鉛・銀鉱山。奈良時代養老年間(720年ごろ)に採掘が始まり、明治7年(1874年)に三井組が経営権を取得、近代化により国内初のトラックレス・マイニング法を取り入れるなど、大規模採掘を続けていたが、2001年6月に鉱石の採掘を中止した。三井組経営からの総採掘量は、約130年間で7,500万トンにも達し、一時は東洋一の鉱山として栄えた。イタイイタイ病
神岡鉱山の亜鉛鉱石の主要鉱物である閃亜鉛鉱に含まれるカドミウムを原因とする、富山県神通川流域で発生した大規模な公害である。この公害により最も大きく発生した被害は、布団をかぶせただけで骨折し「痛い、痛い(いたい、いたい)」と叫んでしまう「イタイイタイ病」と呼ばれる公害病である。患者が神岡鉱山を操業していた三井金属鉱業株式会社(当時)を相手取り集団提訴し、1971年富山地裁で患者被告が勝訴、名古屋高裁でも勝訴した。日本の四大公害病裁判において、最初の原告勝訴判決で、その後の公害病裁判に大きな影響を与えた。
補足
16世紀から採掘が始まった神岡鉱山は、1874年以降、三井財閥の手で近代的な鉱山として生まれ変わり、国内では不足がちな亜鉛・鉛資源の安定供給源として重要な役割を果たす。かつては直営の鉱山鉄道が笹津〜猪谷〜茂住〜鹿間〜神岡間などで運行されていた。
だが、国鉄が神岡鉄道(猪谷〜神岡)を開業させた1966年頃から事情が変わってくる。神通川下流部の富山県婦中町などの農村でイタイイタイ病被害が深刻になり、患者団体が三井金属鉱業株式会社を相手取り集団提訴していた。1971年に患者側勝訴の判決が出て、カドミウムの処理に巨額の資金を投じなければならなくなる。
明治時代初期、神岡の鉱山採掘は未だ零細な山師がそれぞれ数坑を持ち行うといった形態であったが、その後三井組が次々にそれらの山師から坑を買収して行き、ついに1886年(明治19年)には和佐保すべてを、ついで1889年(明治22年)には茂住のすべてを手に入れ、これをもって神岡鉱山全山が三井の所有となったのである。以来三井は神岡鉱山に多くの資本を投入して最先端の技術による大規模な採掘を行うところとなるが、のちにはカドミウムが高原川から下流の神通川に流入し、イタイイタイ病を発生させることとなった。
☆wikipedeaより追加
神岡鉱山の採掘及び精錬加工によって、鉱山町としての神岡町は隆盛と衰退を共にした。鉱山最盛期である1950年代後半〜1960年代前半は町民が2万7,000人以上にふくれあがったが、鉱山の合理化、及び、採掘中止に伴い転出が続き、現在は1万1,000人ほどまで減少している。ちなみに、神岡町にある神岡城は昭和45年に三井金属鉱業(株)神岡鉱業所創業100周年記念として建設されたもので、現在も神岡鉱山の施設・鉱石などが展示、紹介されている。町の各所には、鉱員住宅や集会場、共同浴場などが点在しており、鉱山マニアや廃墟マニアを惹きつけている。ちなみに以前も書きましたが
映画館が5つ?程あったり
その当時の人気芸能人は殆どここ神岡にコンサートや公演などで
集まっていたそう。
義母曰く、美空ひばりさんだけはさすがに来てくれなんだなー
残念やった・・・とこぼしてました。
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スーパーカミオカンデは東京大学宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設を中心に、
日本、米国、韓国、中国、ポーランドからの32の大学、研究機関との共同研究で行われている。 スーパーカミオカンデで研究されている、ニュートリノの研究の歴史についてお話します。ニュートリノは数十年前に発見され、ニュートリノ研究は今、科学の最前線となっている。
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ニュートリノの歴史
「1930年ニュートリノが考え出される」オーストリアの物理学者パウリは放射性元素の研究をしていた。
原子核が出す放射線(ベータ線)のエネルギー分布を研究しているとき、パウリはエネルギーがどこかへ消えてしまうことをどう説明すべきか悩む。
そして「電気を帯びていなくて、知らないうちにどこかへ飛び出してしまう、幽霊のような粒子があると考えるとつじつまが合う」と考えついた。
このとき、パウリはこの粒子を「ニュートロン」と呼んでいましたが、これが今日のニュートリノだったのです。ニュートリノは本物が発見される前に、科学者の頭の中で生まれた。
「1933年ニュートリノに名前が付く」イタリアの物理学者フェルミは、パウリの考えた粒子について研究しベータ崩壊の理論を構築していました。1932年に現在のニュートロン(中性子)が発見されていましたので、幽霊粒子のほうを「ニュートリノ」と名づけ直しました。「ニュートラル」は中性、つまり電気を帯びていないという意味、「イノ」はイタリア語で小さいという意味です。
「1956年初めてニュートリノが発見される。」アメリカの物理学者ライネスらは原子炉から生まれるニュートリノを捕まえることに成功しました。命名から20年以上経って、やっとニュートリノは発見されたのです。
「1970年代太陽からのニュートリノを観測」1969年からアメリカの物理学者デイビスが太陽ニュートリノの観測を開始しました。長年実験を重ねた結果、ニュートリノは理論からの予想の1/3程度しか発見されませんでした。このことは、「太陽ニュートリノ問題」と呼ばれ、その後約30年間にわたる物理学上の大問題となりました。
「1987年超新星爆発からのニュートリノを観測。」1987年1月、カミオカンデグループが太陽ニュートリノの観測を開始。
そのわずか1ヶ月後、16万光年彼方の超新星1987Aからやって来たニュートリノを捕まえました。
ここから「ニュートリノ天文学」という新しい学問が始まったのです。
「1989年太陽から来るニュートリノが足りない」カミオカンデグループが太陽ニュートリノの観測を2年間続け、その数が理論より少ないことを発表しました。デイビスとカミオカンデの2つの観測で同じ結果がでたので、太陽ニュートリノの研究がより活発に行われるようになりました。
「大気からのニュートリノの成分比がおかしい」同じ頃、カミオカンデグループは観測を続けていた大気ニュートリノのデータを調べ、電子ニュート
リノとミューニュートリノからなる成分比が理論の予想と違っている事を発見しました。このことは、後のニュートリノの重さの発見へとつながる重要な結果でした。
「1996年スーパーカミオカンデが完成」4年以上の歳月をかけて、世界最大、世界最高精度のニュートリノ観測装置「スーパーカミオカンデ」が完成しました。
そしてニュートリノ研究の新世代が始まったのです。
「ニュートリノには重さがあることを発見」スーパーカミオカンデグループは、ニュートリノに重さがある、ということを世界で初めて、発見しました。
それは、素粒子物理学上の基本的な理論の見直しを迫る、たいへん重要な発見でした。
パウリの予言から70年余り、ニュートリノのことは少しずつ解明されてきています。
これからもスーパーカミオカンデはニュートリノの謎を解明していきます。
http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/index.html
公式ホームページより。
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どう繋がっているか、
まだ何となく感じるだけなので、ぼやけた感じ・・・。
また気になることがあれば追って追記していきます。
それにしても神岡は
日本一の岩盤の固さを誇ったり
東洋一の亜鉛発掘鉱山だったり
宇宙最前線科学の発祥だったり
自然、山、さまさま、の歴史と文化なんだなーと改めて感慨深い。
確かに鉱山のお蔭で人々の暮らしは豊かになり
今でも鉱山といえば、まだまだ普通のサラリーマンよりは
優遇されているようだし、歴史的にも飛騨を象徴する大産業では
あったと思うけれど
その史実と共に
事故や公害が起きたり、衰退したり、廃止になる過程があり、
そのこととカミオカンデと地球(宇宙)の叫びとは無縁ではない気がしてくるのだけれど・・・・・。
(よそ者ノ私が書きたい放題ですみませんw愛知県出身。)
- 2008/08/30(土) 15:48:05|
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昨日は動物病院に行きましたが
残念ながら為す術は無いということでした

人間同様エナメル質や象牙質は自然には再生しないそうで
やはり百の場合、歯髄といって神経まで出ている状態で
それを充填するには東京や名古屋に行かなければいけないみたい。
しかも既に黴菌が入っている可能性が高いので、だとしたら
充填しても意味はないそうなので、後の処置としてできるのは抜歯、だそう。
大変なことになってしまいました。
歯の部位は一番噛む点では活躍している
前臼歯で、抜歯は全身麻酔を伴うので
高齢の百にとっては麻酔自体が負担になりそう。
なのでとりあえずヨード(消毒薬)だけを頂いて泣く泣く帰ってきました。
やっぱり人間歯科に連れていきたい衝動に。
でふと歯科医院を経営する知人を思い出し
早速電話してみた。
やはりバイ菌は既に欠損した直後には入っている可能性が高く
今出来ることは充填や抜歯。
抜歯はいつでもできるので
セメントと充填機を送ってくださるということになり
今私に出来ることはそれくらいなので
昔の仕事を思い出しながらセメントを充填してみようと思う。
これは何かのしるしなんだろうなーとふと今朝散歩中に思う。
百は私と一心同体だから尚更。
空が来たことによる無意識&意識的な面も合わせて
百にも負担をかけていることも改めて思う。
負担?というか
人と人の関係もそう。
誰かと共に過ごすということはいいことばかりじゃない。
嫌なこと、我慢、喧嘩をしながらも
その負担?と共に生きていく。
わんこも同じ。(百と空はいい関係なのですが)→百がとても優しい子だから。
姉妹や兄弟のことをまた思う。
先に生まれた命よりも後からの命の方が
自然と目をかけてしまう。これは誰でも同じなのかなーとふと思う。
正直、新鮮だし、自分になついてくれれば尚更かわいい。
お姉ちゃんだから、お兄ちゃんだから、と
期待と責任と信頼がごちゃまぜになって彼、彼女に乗りかかる。
(無意識に、ということが最近身を以って感じるわ)
その時の彼、彼女の心の負担は
実は結構しんどいものだったりするのかもしれない。
甘えたいのはいくつになっても変わらない、し
自分だけを見ていてほしい・・・という想いは誰にでもあるだろうから。
それでも人間は
歴史が始まって以来ずっと
その繰り返しの中で争い、傷付いて生きている。
夜食事のあと、
また宗教のことを思った。
本当にありのままの心、感じる心を大切に過ごしている人は
果たして多くいるのだろうかと。
宗教の教えが自然に頭に叩き込まれ、
こうあるべき、とこうでなければならない、にがんじがらめにされていることにすら
気付かず、自分の素直な心なんてとっくに見失いながら大人になっていく
人間たち。
宗教に限らず、
こうあるべきや、こうでなければならないは社会に蔓延している気がする。
それはそう陰で指示するとてつもなく支配欲の強い存在があるから。
私自身も未だにそうだと思う。
人と関われば関わるほどそれを感じる。
それでも
ひとつだけはっきりと思うのは
その段階は私たちのいのちに与えられた過酷な段階なのだということ。
こうでなければならない、を超えたところに
自然に心がたどり着いたとき、
ひとつまた違う世界を見ることができるのかもしれない。
わんこの歯から話が逸れてしまったわ。
今回の歯のことがあって
私は改めて百の尊さ、偉大さ、優しさ、健気さ、大きさを思う。
何があっても百を一番に大切に過ごしていこうと改めて心に刻む。
空はその私と百をいつも見て育っていくだろう。(ってもう大人かー

)
もちろん空はとてつもなくかわいいやつなんですが

空をかわいければかわいいだけ、
百を愛おしく思う・・・・。
あ、9歳の百は人間でいえば50代だそうで、70代ではなかったです。ホッ。
百に身代わりになってもらっているような
気がしてならないのは気のせいかなーー
敏感にならないとなー・・・・・・・・私自身の浄化のこと。
目やにも昨日からひどいので
今日は近くの病院に行って目薬頂いてきます。
(昨日は歯のことでいっぱいいっぱいの気持ちで
うっかり頂くのを忘れてきてしまった)
- 2008/08/30(土) 09:18:37|
- 百&空|
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昨夜は東海地方にものすごい雷雨があり
私も生まれて初めてくらい、雷にびびりました。
何か魂?にぐさっと突き刺すような感覚で
夜中にもドッカーンと鳴ったとき普段なら何があっても目が覚めない
私でもハッと飛び起きてしましました。
真上で落ちているかと思うような雷音。
ちなみに我が家のお姫様たちは
一向に素知らぬ顔で
夜中もワンともスンとも言わずに寝ておりました

(普通?わんこってもんはこういう音に敏感で
ブルブル震えてもおかしくないんでないか?)
2008年8月28日〜29日
に
何か大きな浄化が起きた感じ?
そして雷で目を覚ました時にこれまたすごい夢を見ていて
目が覚めたので初めて、夢を夢うつつでメモしてみた。
何か大きな行事(お葬式のような雰囲気?)を執り行っている。
太鼓の音が響く(これはきっと雷だったのね)
何か大勢の人で親戚もいて
こないだの夢の続きのようなイメージ。
太鼓の音に合わせて私が一人ひとりと息を合わせて
頭を床に付けるように(土下座?)して
「ありがとうございましたっ」
と相手と同じようなリズムでお礼?を言い合う。
ひとりの親戚の伯父とはしっかりと目が合い
伯父は泣きながらお礼を言っていて
私も伯父と息をぴったりと合わせてお礼を済ませ
あまりにも太鼓と伯父と息があったので
ホッと安心する感じ。
そして一通りその催し?が終わり
最後のあいさつの時、
何故か私がその集団の真ん中にいて
私が挨拶をしなければ終わらない・・・という運びになっていて
内心焦りながら「言わなければ、何といえばいいのかな?
皆さんのお蔭をもちまして滞りなく無事式を済ませることができました、
とかでいいのかな?」と思うけど言葉としてなかなか出てこない。
なんというかあまりにも壮大な?儀式なのに
思いつきで言うことが憚れる感じで思う言葉を言い出せない。
皆さんはまだかまだか?と待っているものの
私がなかなか言い出さずにいるのを察して
「まぁノリコさんも初めてのことだから緊張しているようだし」
とけっこうあたたかい空気が流れている・・・
とここで目が覚めました。
多分あの雷がなければ思い出す事もない夢だった気がするので
雷のお蔭で覚えていてよかったなー?
それにしても
やっぱり私の生活は現実より夢の方が
なんだか臨場感?溢れる感じで意識の上でとても忙しい感じ。
日々の暮らしは
なんという静けさなんだろう・・・と改めて思う。
そうそう
昨夜、夜ごはんを食べていたら
義父が部屋に入ってきて
「これ、ほんの気持だけど母ちゃんと仲間で・・・」と

を手渡してくれました。字は義母の直筆です

びっくりなんてもんじゃない感じで、震えがきそうでした。
まさか、覚えてくれているとは!!!
(といいながら毎年くれるんだったっけ)
しかも中身は万札が2枚も〜〜〜

なんだか嬉しいのと金額が多いので戸惑っていまう小心者?のわたくし。
今年はなんだか義母もいつもと違うかもなーと
勝手なことを思ったりした

主人はガソリン代が跳ね上がりお小遣いもぎりぎりなのに
ケーキとスパークリングワインを買ってきてくれました。
私は今年は何もいらないわー空ちゃん来てくれたのが最大の
プレゼントだし、と言っていたのに。

いつもありがとう

パパ

今日は百の病院に高山まで行ってきます。
どうも歯の調子が治りかけていると思っていたら
昨日歯磨きしたときに(やっぱり8番でした)
右の欠けたところが全体的に象牙質の残っている部分も
はがれそうな状態で、
ちょっと私の手に負えない感じなので。
知り合いがいい病院を紹介して下さったので感謝です。
mimimamaさんありがとう〜
- 2008/08/29(金) 08:49:59|
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昨日のニュースにカミオカンデで新たな実験が今年の9月に始まるとあった。
毎日新聞のニュース>暗黒物質の検出器「XMASS」(直径約80センチ、約5億円)をタンクの中に沈める。
とあり、「XMASS」がなんだか気になりました。
なぜ、暗黒物質の検出器にそのような名前が付いたのか?
疑問です。
そして5億円(他にももちろんかかっているだろうし)
もの予算はどこからでるのでしょう?私たちの血税・・・ですよね。
(正確には文部科学省が補助)
カミオカンデを否定するわけではないけど?
あまりにも不明瞭?な研究機関で私たち一般市民すら
見学に行けないという状況なので謎が多いです。
機械や科学、実験に頼る次元では既にないような
気がしてなんだか不安な成り行きです。
宇宙の研究もいいですが
この地球上ではじめから宇宙が顕わされているというのに
その地球上のことですら表面しか見ていない人間が
莫大な費用を投じて宇宙の研究というのはふと
アメリカをイメージしてしまいました。
神岡でも最先端科学・・とか謳っています。ニュートリノの発見は
素晴らしかったと思いますが。それ以上に何をしているんだろう?
謎です〜^^;(私自身興味がなかったせいもありますが)
カミオカンデも東大との大学共同研究機関。
初期の建設費用だけでも100億円とありました。
ちなみに他の国際宇宙ステーションなどに関する費用も
巨額なんてものじゃないのはなんとなく判りますが・・・
国際宇宙ステーションに関する記述一部抜粋↓
●宇宙開発には莫大な費用がかかる
・国際宇宙ステーションの建設費 → 約400億ドル(約5兆円)
(当初予定よりも大幅にふくらんでいる。日本の負担は約6000億円)
・1回のスペースシャトルの打ち上げ費用 → 約5億ドル(約600億円)
・1回の無人ロケットの打ち上げ費用 → 1億ドル〜2億ドル(100億円〜200億円)
(日本のH2ロケットの場合、約200億円)
比較 日本の国家予算
・発展途上国への援助(ODA)予算(2002年度) → 8566億円
・公立の小・中・高等学校の校舎改築などのための予算(2002年度) →1515億円
・ガン関連の年間研究予算(2001年度) → 140億円
・アレルギー疾患や感染症治療のための年間研究予算(2001年度) → 53億円
・ES細胞等を利用した再生医療の年間研究予算(2001年度) →80億円
・スーパーカミオカンデの建設費用(総額) →約100億円
だそうです。
国家予算に関しては特別会計とかいう訳のわからない
お金の流れがあるしあまり参考にはならないかもしれませんが。
政府が全て公表しているとも絶対思えませんし・・・
Wikipediaより
>暗黒物質(あんこくぶっしつ、dark matter)とは、宇宙にある星間物質のうち自力で光っていないか光を反射しないために光学的には観測できない物質のことである。
とありました。あとは科学的な事柄なので載せませんが
暗黒物質と名付けているのもなんだか嫌な感じです。
あとやはり宇宙の物質の8割を占める・・・だそうですので
殆どがこの暗黒物質ということになります?
とても気にはなる物質ですが
これを研究しようとする意図は何か?とこれもとても
気になります。この研究は2007年、日米欧の国際研究チームが関わっているようですし
NASAの発表によると同年5月米ジョンズ・ホプキンズ大学の研究チーム
も関わっているよう。
日米の専門機関が大きく加わる研究に何か嫌な?感じを受けました・・・。
巨額の費用を費やす実験は
何かの目的があって遂行されているはずなので
ただやみくもに?
暗黒物質(ダークマター)を調査するのではなく
その物質の何かの成果を見込んでの実験だということは
なんとなく感じます。

ニュートリノの調査では純粋に素粒子の研究の流れからたどり着いた
成果だったと思うのですが。
以下は
研究メンバーの方のコメントです。
ニュートリノを利用して
小柴先生はかつて、「ニュートリノ研究は何の役にも立たない」と言われました。その意図は、近い将来生活に役立つレベルには達していない、ということだと思います。しかし、カムランドがニュートリノの伝搬を解明したことにより、これまで見えなかったものを観測する研究手段としての利用が可能になりました。
最初の太陽ニュートリノ観測がめざしたように、地上の生命活動のエネルギー源である太陽内核融合反応は、ニュートリノによって直接監視できます。核融合エネルギーが光となって放出されるには百万年もかかるので、百万年後の将来を見通した研究になるのかもしれません。
また、地球内の放射性物質は反電子ニュートリノを放出します。放射性物質が放出する熱量は地熱の多くの部分を占めると考えられており、その地球からのニュートリノ観測は、地震や火山活動などの地球ダイナミクスを理解する上で、全く新しい情報をもたらします。
ニュートリノのある種の性質は、宇宙が反物質でなく物質でできていることを解く鍵だと考えられています。また、宇宙全体は1立方cm当り約三百個のニュートリノで満たされており、光に次いで多い粒子です。先の太陽ニュートリノは、地球上で1平方cm当り1秒に660億個も突き抜けています。
私たちの身体ですら、1日に3億個ほどのニュートリノを放射しています。実は、気づかないだけで、私たちの周りはニュートリノで満ちています。ニュートリノを理解することは、私たちの住む宇宙を理解する上で重要なステップであることは間違いないでしょう。それにしても
見学したいなー一度は。やっぱりねw。(非公開のようです)
でも巨額を投資しなくても
今は
わかる方にはわかるのが宇宙の、地球の、人間の素晴らしいところだなーと
想うのが本音かも。
- 2008/08/28(木) 18:08:53|
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今朝は空の歯石取り(スケーリング)をしました

捨てられていて初めて見た時からずっと茶色い歯石が気になっていて
きっと歯磨きも一度もされていなかった気がしたので
歯科に勤務経験のある私は特にうずうずとしていた。
でもいきなりスケーリングは怖いだろうと
少し前から歯磨きはしていてだいぶおりこうに磨かせてくれるように
なったのでようやく念願の!スケーリングを一気に完了

取り応えがありそこまで暴れなかったので
思ったより簡単でした。これで私も空もすっきり〜〜

今ではわんこに電動ブラシを使用する愛犬家も増え
わんこ用歯科がないのがちょっと疑問な私。(ってあるわけないけど

)
というのも
百がこないだの牛の爪を噛んでいたら
力が強すぎたせいか両方の6番(だと思う・・・)を
思いきり欠けさせてしまいなんと、
歯から出血してしまったのです・・。
人間は歯を削ったり欠けても出血はしないのですが
わんこの歯は人間の造りとは違うことにも初めて気が付きました。
歯にも血管があるということ!(すごい精密な造りです〜)
エナメル質、象牙質の部分も当然はげ落ち神経まで見えてしまうという
有様で歯磨きをしても痛みがひど過ぎてここ2週間ほど前歯と臼歯のみの

ブラッシングなのです・・・。
動物病院にはなんとなく行きませんでした。
(期待できなかったから・・・でも行けばまだましなのかなー?)
人間の歯科医院に連れていきたい衝動に駆られた馬鹿なわたくし。(でもマジで)
なので大好きだった牛の爪もしばらくはお預け(それでも欲しがるのが
??な感じ)。
スケーリングも動物病院だと全身麻酔だし
治療費もバカにならないだろうし
うちの二匹のわんこ達の口腔内は
私が全部ケアするつもりです。
百のは時間薬しかないかなーと思ってるけど(自然治癒力が一番だしね)
でもでも、
フッ素と局部麻酔とサホライドが今すぐにでもやっぱり、欲しいよーー

(でも日に日に神経が塞がってはいます)
やっぱり動物病院行って聞いてみよう〜。
もしかしてあるかもしれないし。(当然口腔用薬品もあるのかしら?)
そうよねー動物病院は全般だからー当然あるか(先生失礼致しました!)
歯はわんこも当然大切。
20歳までどうしても生きてもらいたいから(世界初?)
歯は命

で私もがんばりますっ
- 2008/08/28(木) 11:05:27|
- 百&空|
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義母が退院して1か月ちょっと。
2~3日位前までは普通に調子よかったのだけど
一昨日くらいからどうも???な感じ。
多動多弁が再発し始めている。
鬱の反対の症状で。
喋りだすと止まらなくなり
行動範囲も広がり一日中用事を作っては義父に車で連れて行ってもらっている。
昨日も富山の病院→神岡の病院→知人のお見舞い→買い物
と異常?な行動範囲でちょっと心配。
(ひと月前まで歩けなくて入院した人が!)
そして夜も私と主人の食事の時間に一緒のテーブルに座り込み
延々と話が止まらなくなり(その前の晩もそうだった)
さすがに主人が「食事したいしノリコと話もあるから外してくれないか?」
と言うと「ハッ」と気付いたように寝室に戻った。
毎度のことだけど
毎回、今回こそはもう治っている?と心のどこかで期待しているんだろう・・・
やっぱり無理なのねーとため息が出た。
実はこないだ退院したときに主人が
「今回は退院の時期がいつもより遅れたから
入院するのもきっと早くなりそうやなー」と呟いていて
私は内心「そんなこと言わないでよーあんなによくなってるから
今回はもう入院はないわー」と思いながら
主人の言うことは半々しか聞いていなかった。
そう1年の間に季節の変わり目ごとに調子がおかしくなり
ここ数年冬に自宅で過ごしたことがない義母。
話す内容も私たちを意識することなく
ただただ自分の思うこと、自分の過去のことを私たちが全く知らないような
内容の話を
なりふり構わず一方的に話す感じで
こないだまで会話としてちゃんと相手のこころとキャッチボール出来ていたのが
嘘のような変わりよう。
でも
もう何度この繰り返しをしてるか分からないほどなので
私も主人も比較的・・というかすごく冷静。
紙一重という言葉がありますが
義母はそんな感じなのかも。
記憶力が異常に?良くて(でも自分に必要ないことはどんどん忘れているんだけどね)
過去のすべての気になることを心に蓄積している感じ。
(まぁ人間はある程度そういうのは誰でもあるのかもしれないけど、それが
度を超す感じかな)
そして感受性も鋭く発散しにくい性格なので余計に溜まる。
そしてあとは霊媒体質なのが致命的?
多動多弁の時は本当に何かに取り憑かれている感じ。
そしてわんこ達にも無反応になっていく。。。。(これが一番
判り易いかも・・涙)
百も毎晩喋り続ける義母を目の前で見てるので
既に気付いているだろう。義母のそばで固まって身動きができない感じ。
もう少し進むと百から逃げるようになるし。
私もこの時期から義母との関わりが正直しんどくなるので
なるべく義父に任せて関わらない。
(最近は変化を見逃さずにキャッチできるようにはなってきたかもなー)
今年は家族全員でお正月を迎えたいなーと思っていたんだけど。
たぶんこの調子だと主人の言う通りになりそう。
家族っていっても無力をいつも感じます・・・・。
義父には感謝します。
私ではこの時期からは手に負えない・・・・。
百で思い出したわ。
うちの百は私に似て?か?超虫嫌いで
虫を見ると異常な吠え方をする。
ハエとかアブとかなんて気違いになったかと思うほど。
部屋に一匹入っただけで私か主人が捕まえるまで発狂しながらほえまくる。
他の時でこんな吠え方は絶対にしない。し、普段夜は静かにしてくれているんだけど。
これってなんだか意味がある気がしてくるこの頃。
- 2008/08/28(木) 09:41:27|
- 同居|
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今日はおじいちゃんおばあちゃんが
病院の日で家の中がなんだか静かだワン。
で、ママがまたお洋服を作ってくれたワン

百母さん、やっぱりピンクが似合うワン。


私はまだまだ青いから青が似合うワン。あ、このベッド、こないだパパが
私に買ってくれました!とってもお気に入りのベッドだワン♪ふかふか〜〜
昼になってもおじいちゃんおばあちゃんは帰ってこなくて
ちょっと心配だワン。まぁママと百母さんさえいれば幸せなんだけどー

食後
「百〜百〜どこいったの〜?百がいないよー」
とママが百母さんを探していたワン。
そしたらママがいきなり大笑いして私もびっくりしたワン。


そうそう・・って違うワーーーンっ

ママ、百母さんにも買ってあげてよ。
私のんびりベッドで昼寝してられないワン。
しかも笑ごとじゃないワン

※昼間は部屋に出し、夜はゲージにこのベッドを入れてます。

仕方ないので(!)百にも買うことにするかーー

byママ。
空はたくましく&いじらしく&健気に過ごしております〜
- 2008/08/27(水) 13:59:04|
- 百&空|
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昨日雑草の生命のことを思っていたけど
今朝朝ごはん作りながら
雑草も本当はやっぱり正真正銘の嫌われ者かもしれないなーと
思ってみた。
地球ではやはり一番人間が進化した生物だとすれば
人間と共存できるものはやはりそれなりの役割を与えられた生物だろうし
忌み嫌われるものはそれなりの役割?があるのかもしれないなーと。
虫も命には違いないし、ごっついたくましい生命力だけど
人間と共存共栄は出来ない生命体だと思うし
私にとっては天敵に匹敵する悪い奴。
雑草も
やはり丁寧に野菜を育てる上でも野菜が土からもらう養分を吸い取ってしまうし
雑草と共に虫も付いてくるだろうし
なんでも命あるものが尊い・・・という
仏教的な思想はもう終わっているんだし。
雑草の生命の尊さ?は別に感じる必要はないのかなーと思いなおしてみた。
(一瞬感じただけなのに何故か妙にひっかかるのが気持ち悪い感じ)
それでも緑はやはり空気をきれいにしてくれるし
森林は大切に守っていかなければいけない命だし
大地に土しかないのはなんだか味気ない気がするし
雑草はいったい何の為に生えてくるんだろう〜とはやっぱり思うけどw。
と思っていたら
何となく
「それは虫を人間にそれ以上近付かせないため」
だと感じました・・・・!
ふーーんなるほどねぇ・・・。
そういえばわんこも草むらに入れるとダニや蚤や小さな虫が身体に付くから
フロントラインが欠かせない。
そうか、雑草が虫の住処なんだなー。?
ってことは虫にとっては欠かせない存在だー

家の周りを手入れもせずに雑草生え放題の家は
やっぱりクリアなイメージ、感じはしないし、虫もたかっていそうだし。
草花の命に思いを馳せることは
その役割を感じることなんだろう。
そして手をかける・・・ということはやっぱり
必要なものと必要ないものっていうのがあるってこと。
じゃぁ雑草が無くなれば虫はどうなるのかなー?
要らないものは要らない。
いいものはいい。
悪いものは悪い。
この区別を宗教ではとても曖昧にしている気がするこの頃。
山川草木悉皆成仏
といいますねw。
全ての命が尊いというのは
宗教の得意分野かも。
そして悪と善を混同させて
悪が住み着く死角でもありそこが世界的な既存宗教の落とし穴。
もちろん全ての教えが悪いわけではないだろう。
死角を利用して悪さをする一部の悪人がうようよしているのが
現在の宗教。
それはその為に創られたものだから。
雑草は、そういえば、取った後は枯れて大地と化していく。
そしてそれが脈々と次の命に繋がっているんだろう。根強いな〜
結論?は雑草と虫は両方いらないかもなー。
でも畑で除草剤は絶対おかしいと思うけどw。
そういえば
畑の肥料の代わりに
森などにある倒木を土の上に置くと肥料の代わりになる・・・と
昨日義母が亡くなったおじいさんの畑のやり方を教えてくれた。
なんか自然でいいなーこの方法は♪
:*:・゜☆。・:*:・゜・:*:::*:・゜☆。・:*:・゜・:*:::*:・゜☆。・:*:・゜・:*::
昨日の夕方の空はドラマチックだったなー。

なんだか生き物っぽい?と思ってどうなるのか眺めていた。ら。

生き物?の顔(ライオンみたい?)が現れてきた気がした。

何かを食べているような?
そして今朝もものすごーーーくドラマチックだったのに
そういうときに携帯忘れていてショックだった。
朝だけ快晴だった。(6時半頃まで)
今朝はひらがなやカタカナが何個かはっきり見えた。
カとムとハが並んでいた。何度見ても。
カムハ???歯で噛む?
なんだろうな?
へへへへとへが4つ並んでいたり。ニヤけているのかな?(笑)
そして電磁波?がとっても強そうな感じがした。
撮れなくて残念。
家に戻ると薄曇りになっていた
- 2008/08/27(水) 09:55:50|
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今日はバタバタと過ごす。
午前中は神岡市街?に買い物&用事でお出かけ。
(久々だったなー)
午後から急に草取りをしなければ、と思いたち
お天気も薄曇りで草取り日和だったので
2時間程夢中で草をむしる。
ちょうど土も湿り気がありスルッと抜けて気持ちいい・・・けど
さすがに普段運動不足だからか
2時間もしていると汗もかき、疲れてきたので今日はお終い。
雑草をむしる・・・・って
どういうことなんだろう?と思いながら(汗)
実際も汗
見かけ・・・の為なのは明らかだけど
雑草の命はなん何だろう?とか思いながら(苦笑)
抜き取られ、機械で切り取られ、時には除草剤(枯れ葉剤)を蒔かれ
雑草の命は踏んだり蹴ったりだなーとか
しょうもないことを思いながらひたすら草を抜き取る作業。
雑という漢字まで当てがわれて
それでもコンクリートの隙間からも強靭な生命力で天に向かって伸びようと
するあの根性はどこからくるんだろうねー
なーんて誰も疑問に思わないかっーーーー

で、パソコンしながら自然農法というのをふと思い出す。
故福岡正信氏の自然農法。
以下wikipedeaより
自然農法(しぜんのうほう)とは、不耕起(耕さない)、不除草(除草しない)、不施肥(肥料を与えない)、無農薬(農薬を使用しない)を特徴とする農法。肥料や農薬を使用する従来農法(有機農法も含む)と異なり、基本的に播種と収穫以外の作業を行わず、自然に任せた栽培を行う。日本や世界各地に実践者がいる。
この農法だと
私が今している野菜作りとだいぶ異なる。
耕さない!いいなーこれ。
そして除草しない!(これもいいなー)
無農薬!(これは実践)
自然のまんま・・・ということだ。
やっぱり雑草はそうそう悪いものじゃない?みたいだなー?
ちなみにこの福岡正信という方は
1988年、アジアのノーベル賞とも言われるフィリピンのマグサイサイ賞を民間人・日本人として初めて受賞する。・・・という大そうな人物。
で福岡さんを検索していたら
こんなサイトを発見。
少しだけ読んでふーーんと思うとこだけ読んでみた。
だんだん読んでいると宗教とか哲学っぽくなってきて
仏教思想も多分に入り込んでいることがわかったのでここまでにするわ。(汗、汗)
最近宗教という言葉を画面で見つけるだけで
嫌な感じがするのでごめんなさい・・という感じかなー。
多くの日本人がいろいろな情報から宗教に自然に関わっているのを改めて
感じた。
でこれを読んでいてもついうっかりと仏教の教え?に
知らず知らずに触れそうだから怖いなーと思うけど。
でも、自然農法はすごい発想だなーと素直に想う。
(というか、楽できるのかなーと一瞬怠け者根性が出ただけなんだなーきっと

)
でも福岡さんは今年8月16日にお亡くなりになり
多くの日本だけに留まらず世界中の人々に多大な影響を与えたそうだから
これってどうなのかなーと世の中の根本的な?を感じるわ。
と思いながらこの福岡氏に
批判的なブログなどはあるのかな?
と検索したら・・・これまたビンゴでしたーー

しかもこの方のブログに
>確かに草を取らないとありますが、除草剤を使って「 無除草 」とするのは、どういう意味でしょうか?
除草剤も農薬ですし、はたしてこれで「 無農薬 」の「 自然農法 」といえるんでしょうか・・・?
むしろ、かなり不自然だと思うのですが・・・とあります〜!ゲゲッ(失礼っ)

何々?除草剤?
素直に自然農法に感動しそうだったけど
ちょっと待てよ・・やっぱり違うんじゃない?と・・・。
で、コメント欄には新興宗教系の農法かも・・とあった。
(これは適当?なコメかもしれませんが)
そうかー
なんだか草取りして疲れていて
感覚鈍っていたかもなー
でも
とても??な農法が多くの人を魅了し
生き方やその人の人生の哲学まで
世界中に影響を与える・・・って
どんな???な世の中なんだろうなーと怖くなってくる。
各地で講演会なども開かれていたそう。
(直接聞いていないし、著書も読んでないので何ともいえないかもしれないけど)
それに私もついこないだまで仏教系の宗教に少なからず
関わっていたので人のこと、全然言えませんが!!
でもこれも一つの気付きにつながるかも・・・・
ということで
まぁ一応削除せず今日の記事にしまーす。
大どんでん返しの記事になってしまったわ・・・見て下さってる方
ごめんなさい

そもそも雑草の生命に思いを馳せて検索したんだから
自然農法で除草剤はないだろうよ〜〜(がっくし

)
※ノーベル賞とか〜賞なんて全然たいしたことないどころか
インチキ賞だとちょっと前から感じてはいたけどね。
後で最初に紹介?したサイトのリンク外しときます!どうせ無断だったし

気付いてよかった

時々のぞく沖縄のチャネラーさんのブログでも
日頃から?という面を感じていて、でも情報範囲も広いので
覗かせてもらっているんだけど
そういえばこの自然農法の記事もこないだ書かれていたっけ。
絶賛されてました・・・
やっぱり〜・・・・
そういえば福岡氏の著書『 わら一本の革命 』などには
釈迦のことば?の引用などが頻繁にあったらしいです。
仏教に関するチャネリング(ヤマタイコク物語)は
こちら。
このチャネリング情報は私の感性ではとってもおすすめです♪
- 2008/08/26(火) 16:16:49|
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あまりにも爽やかな風が吹いて気持ちよく
パソコンの部屋に2匹を入れてました。(大2階)
で2匹とお布団の上でじゃれていたら
うとうととお昼寝

で、ものすごーくおかしな夢を見た。
始まりは現実と同じく百と空とじゃれているんだけど
そのあと、お腹が痛くなりトイレに入ると何故か扉が外されていて
玄関からそのまますぐ見える便器!に座っていて
「嫌だわーなんで壁とか扉がないのよー丸見えじゃん、
しかもお腹痛いしーー」
とぶつぶつ文句言いながら用を足していると
見知らぬ中年のおじさんが入ってくる。
「パパーーお客さんだけど私トイレなのーー」と叫ぶと
主人が代わりに対応してくれる。
相手はもちろん私が見える(汗)
すると今度は何故か父親(実の)が玄関に入ってきている。
「はあ?なんでお父さんまで?」と思いながら
私はまだ便器に座ったまんまでどうしよう?と思っていると
今度は母と妹と従妹達と親戚の伯父伯母、世話になったおじさんおばさん
等々「はぁぁぁ?」というくらい親戚知人が集まってきていることに気付く。
「〜ちゃんまで!!」と叫びながらも
「あー何人来てるか確かめなきゃー」と思い
「いち、にぃ、さん、しーごーろくしちはちくぅじゅう」と数え始める。
ところが数えても数えてもどんどん人の数は増えてくる。
で実母に「来るなら来る、と一言電話で言ってよー
どうせ私は家にいつもいるんだし連絡さえもらえばそれなりに
準備しとけるんだからー」と愚痴を言っている。
実母は黙ってほほ笑む?
で、来る人も知っている人はそろそろ全員集まり(でも100人近い?)
よく顔をいてみるとアラブのひと?のような顔や
白いシーツのような布を身にまとっている人などどうも見知らぬ土地?国からも
来ていることに気付く。
でも現実の我が家には無い
大きな大きな大広間になんとかみんなが集まった。
であまりにも人が多いので「ぼーーっ」とその人たちを見ていて
ハッと気付き「そうそうここは私の家だから私が飲み物とか食事の用意
をしないといけないんだったー」と思い
台所に立つけど
そんなコップや食器などあるわけない。
で焦りと不安で「どうしようっっ!」と
食器棚をあさりながらもあるものだけひとりひとりに配っていて
てんぱって、しどろもどろになりながら応対し始める・・・
あーどうしよう、体がたらないわー誰か助けてーーー
で、
目が覚めました〜〜〜〜!
ホッと、嬉しかったなー夢で。しかも私の体の上で空が寝ていて(笑)
でものすごく疲れました。
お腹もすいてきたので
お菓子とおまんじゅう食べながらこれ書きました。
夢で疲れるって本当にあるんだなーと
改めて思う。
寝ていて疲れた時もきっと何かをしていたんだって確信しましたーー!
それにしてもリアルな感じの絵?だったわー。
※現実はのんびりだらりの1日(汗)
この夢は
みんなに感謝しなさい・・・という夢なのかなー?
確かにお世話になった人が一度にいっきに押し寄せた感じだったなー。
それにしてもアラブの人みたいなのはなんだろう?
何かビン・ラディン?に似てる?ような人種の顔の人達だった。
その時に何か普通の感覚にはないものを感じて
「そうかーこういう人たちがいるんだなー」と憧憬っぽい?感じで見てました。
トイレの壁や扉がないのは
生活を開放しなさいということなのかな?
ブログである程度開放しているけどw。近所でも
比較的人の出入りが多く開放的ではあると思う・・・。
昼間の夢は克明に記憶できるからいいなー。
でそのあと畑に出て白菜&大根&地はえ胡瓜などを植えました。
またHPに更新しよう〜
- 2008/08/25(月) 15:38:53|
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今朝の夢もなんだか変な夢だった。
夜中にあーこれ大事なことだなーと思って少し醒めたのに
多分明け方だったのか?また熟睡してしまい
そのあとも夢を見ていたけど朝目覚めたら全部忘れていた。
ら、また掃除しながらぼわーーんと思いだした。
思い出すということはなんか意味があるんだろうと思うので書いてみる。
幼馴染と昨夜遅くまで中学校時代の懐かしい子たちの話をしていたせいか
その懐かしい男の子が登場。
ちなみに私は彼から好きだと言われたのに
そのあとずっといじめられていた。(夢ではなくて)
昔から女の子に人気の彼は
夢の中で
「俺を想う人は手を挙げて〜」と言う。
正確?には「俺に貢ぐ人?」とかそんな感じだったかもしれない。
で、何故か私だけが手を挙げず無視している。すると
彼が「何でお前だけ手をあげないんだー?」と言う。
私は「もうあなたの思い通りにはならない。みんな知らないだけだわ。
何でわからないんだろう、みんな?」と思う。
でその子は私に対して執拗に求めるけど
私は「もう完全にこの輪から私は外れているわー」と思う。
場面が変わり
洋画に出てくるような外人?みたいな大きな?いかつい存在が
私の横を囲む。
私は無性に心細くて自分に不安を感じている。
異次元のようなところ?
でも身体の中心に安定剤のようにしっかりと構える部分があり
それを感じて「今はまだ進化の途中だけどもう大丈夫、
これまでの歴史は全て血となり肉となっているから
不安な時ももう心配はいらないんだなー安心していていいんだなー」
とまだ進化の途中なので鏡に映る自分の姿はとても
頼りないし完成されてない醜い姿?だけど妙に安心感がある・・・・
そんな夢でした〜。
:*:・゜☆。・:*:・゜・:*:::*:・゜☆。・:*:・゜・:*:::*:・゜☆。・:*:・゜・:*::
幼馴染みのTちゃんが一泊だったけれど
泊まりに来て昨日帰っていきました。
去年の夏以来。
でも私の家に出入りする近所の女の子たちも
ずっと彼女の娘のМちゃんが来るのを待ちわびていて
みんな大喜びでした。
我が家は4人の娘で大賑わい


そのうちの一人は
お泊りまでしてしまう(笑)

ちなみに飛騨の小学校は明日から学校なので
最後の夏休み。みんな丸一日我が家でМちゃんを囲んで楽しそうに
過ごしていました。
Мちゃんも一人っ子なので余計、飛騨に友達が出来てうれしそう

Tちゃんも元気そうで何よりでした。
二人で遅くまで
人生を語り合ってました。といっても彼女の苦労を聞いていただけだったけど。
あと中学生の時の仲間のはなしで盛り上がる。
地元にずっといる彼女なので
たまにみんなと会って話をするらしいので
私も懐かしい名前を聞いて昔を思い出していました。
でもやっぱり
現実にも
私はあの輪?からは完全に外れている気がする(苦笑)
仲の良かった子たちにも何の未練もないし
不倫しているとかそういう話を聞いても
昔のその子を思い出して
「私にはもう関われないかもなー」と内心冷ややかに想う自分がいたりして

何でいつまでもあの関係が続くのかが不思議。
私には通過点に過ぎなかった気がする。(冷たい?)
でもまぁ地元にいればそれが当たり前だし
人との繋がりは人それぞれだし
私は自ら地元を逃げるようにして去ってきた冷徹な人間なんだろうなー
(あ、いじめとかいろいろあったから余計かもな)
私はここ飛騨神岡が大好きだし。
空の手作り服を見て
隣の女の子が早速自分たちの要らなくなった服をたくさん持ってきてくれた


百に何故かぴったりんこ

縫わなくてそのままでいい感じ。
みんなありがとね〜



秋の青空が眩しい



人間の形だーと子供が教えてくれて・・・・
だんだん羽が生えて鳥の形?になっていった。
これも同じ時間、同じ空

24日の3時半頃〜
- 2008/08/25(月) 09:43:15|
- ご近所付き合い|
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早速ママが作ってくれました〜





まぁまぁ〜

※百用に去年買った子供用の服を空に合わせてミシンで縫っただけ♪
百にも作らないとだめかなー

空は寒がりなだけなんだけどw。
- 2008/08/23(土) 13:46:47|
- 百&空|
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今日は地元の幼馴染が来てくれるので
ゆっくりは書けないけど今朝、非常にいいすっきりと目覚め
起きた瞬間に六角のマーク☆ではなく台形の・・・が頭に浮かび
何故か身体が新しく生まれ変わっているような
爽快感で目が覚めたので
昨日記事にしようか迷ったことを少し引用してみたいと思う。
ちなみに六角のマークの意味はよく判らないけど
我が家は現在6つの生命体が(笑)ひとつ屋根の下に住んでおり
そのことで丸く収まっているような気がするので
まぁ自己満足してみる。
百にとっても空が来てくれたことにより
今までにない生命力が生まれてきているように感じるので
空は私たち家族にとってもなにか救世主のような存在のような気がするこの頃だし。
INTEC JAPNより。(宇宙に何か?の引用ブログを読んでいたら
こちらの記事に目が釘付けになったので・・・)
今朝から古代史の話をします。古代史の話といっても漠然としていますが、EJで取
り上げているのは日本人のルーツにマトを絞っています。自分の国の歴史がはっきりし
ない国は先進国では日本くらいのものです。また、他国から抗議されて教科書の歴史的
事実を書き替えることを繰り返す国もおそらく日本しかないでしょう。
なぜ、そうなってしまうのでしょうか。本来であれば重要な手がかりになるべき「古
事記」や「日本書紀」などの国の歴史書に大きな謎と意図的なウソの記述があり、本当
のことがわかりにくくなっているからです。国際化時代になって、諸外国の人と接する
機会の多い世の中では、自分の国についてきちんとした歴史観を持っていることは大切
なことであると思います。
「日本書紀」は、一般には神武天皇以来連綿と続く万世一系の皇統の歴史を綴った書
物といわれています。「万世一系の皇統」とは戦前までよく聞かれた言葉ですが、要す
るに天皇家は世襲制で連綿としてつながってきたということを意味しているのです。
しかし、「日本書紀」の内容を仔細に検討すると、一方で万世一系の皇統といいなが
ら、他方で王朝交代の可能性を認めているところがあるのです。
実は、「日本書紀」には、2つの大きな物語というか2つの世界があるのです。その
1つは、初代の神武天皇に始まり、応神天皇に終る物語です。もう1つは、仁徳天皇に
始まり、武烈天皇に終る物語です。
一応「日本書紀」では、前半の最後の天皇である応神天皇と、後半の最初の天皇であ
る仁徳天皇は父子関係で結んでいるので、皇統はつながっているようにみえます。しか
し、応神天皇と仁徳天皇は父子関係ではないとする説が多いのです。
『天皇誕生』(中公新書刊)の著者である遠山美都男氏によると、「日本書紀」の後
半の世界では、前半の世界のような世襲ではなく、中国のように天命を受けて成立し、
天命が離れることによって崩壊する王朝が、日本にもあったという事実を示していると
いうのです。大和朝廷の成立の謎を解くには、天皇がどのようにして誕生し、続いてき
たかということを明らかにする必要があると思うので、そういう角度から考察して見る
ことにします。
初代の天皇は神武天皇です。神武天皇以下、15代までの天皇を並べてみます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1.神武天皇* 6.孝安天皇 11.垂任天皇
2.綏靖天皇 7.孝霊天皇 12.景行天皇
3.安寧天皇 8.孝元天皇 13.成務天皇
4.懿徳天皇 9.開花天皇 14.仲哀天皇
5.孝昭天皇 10.崇神天皇* 15.応神天皇*
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
戦前は「じんむ、すいぜい、あんねい、いとく、こうしょう、こうあん、こうれい、
こうげん・・・」というように暗記させられたということです。国として「万世一系の
皇統」というものを国民に意識づける狙いがあったと思いますが、実際にはこれだけの
数の天皇が本当にいたかどうかは非常に疑問なのです。
この15代の天皇のうち、名前に「神」が入る天皇は3人――神武、崇神、応神――
います。これら3人の天皇の業績や記述は非常に多いのです。したがって、これら3人
の天皇は実在したとみられていますが、他の天皇に関しては実在したかどうかについて
さまざまな意見があります。
はっきりしていることは、第2代の綏靖から第9代の開花までは、その歴史的な記述
がほとんどなく、実在しなかったのではないかといわれています。これは「欠史8代」
といって専門家も認めている事実です。
神武天皇は、その生まれも育ちも九州であり、彼にとって九州以外の国は未知の世界
だったのです。「魏志倭人伝」によると、当時九州にはいくつか大きな国があったとさ
れており、神武天皇は、それらの国を束ねる大王ではなかったかと思われます。
その神武天皇の前に「塩土老翁」なる人物が現れ、「東の方によい土地があり、青い
山脈が取り巻いている。その中に「天磐舟(あまのいわふね)」に乗って下ってきた者
がいる」ということを伝えたのです。
ここで「東方」とは、具体的には「畿内」のことを意味しています。畿内とは、現在
の京都、奈良盆地一帯を指します。神武天皇の関心は東方に向けられ、そこに都を作ろ
うと大軍を率いて東に向かうのです。これが有名な神武天皇の東征です。
ところが当時畿内には既にニギハヤ命(ニギハヤのみこと)という人が畿内を制覇し
ており、畿内王朝を形成していたのです。そこに神武天皇軍が攻めてきたのですから、
王朝をかけた戦争になったのです。
ニギハヤ命にはナガスネヒコという武将がおり、神武天皇軍を相手に獅子奮迅の活躍
をするのです。そのため神武天皇軍は大苦戦を強いられます。神武天皇は太陽の国であ
るわが軍が太陽に向かって戦うのは不利と悟り、いったんは兵を引きます。そして、紀
伊半島をぐるりと回り、熊野地方から上陸して紀伊半島を北上し、吉野を超えて再びナ
ガスネヒコ軍と対峙します。
今度は、太陽を背にしての戦いであり、ナガスネヒコ軍を圧倒します。このときどこ
からともなく金色の鴉(とび)が飛来して神武天皇の弓の先に止まり、あたり一面に金
色の光を発光します。これがナガスネヒコ軍の戦意を喪失させて神武天皇軍を勝利に導
いた話はあまりにも有名です。神武天皇は大和に入ると、橿原宮を建立して正式に初代
天皇に即位したのです。
歴史的記述を調べると、神武天皇については、いま述べたようにその即位までの記述
は豊富であるのに天皇に即位してから業績は不明なのに対して、崇神天皇の場合は天皇
に即位してからの業績は詳細なのです。つまり、両者を合わせて1人前なのです。この
ことから神武天皇は架空であり、崇神天皇が初代の天皇であるという説があるのです。 ・・・[日本人のルーツ/01]
古代の神様の名前でだれでもよく知っているのは、天照大神、大国主命、ヤマトタケ
ル命、スサノオ命ぐらいのものではないでしょうか。この中で一番有名なのは、おそら
くヤマトタケル命ではないかと思います。
ヤマトタケル命は、「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)を使ってヤマタノオロチを退治
したのですが、この話は『ヤマトタケル』という映画にもなっています。
しかし、このヤマトタケル命――日本武尊というネーミングから見ても非常にウソっ
ぽい感じがします。実はこれとそっくりの神話が別にあるからです。その神話の主人公
は、スサノオ命であり、話はヤマトタケル命の話とまったく同じです。
スサノオ命は、ヤマタノオロチを退治し、その体内から一振りの剣を取り出すのです
が、これが「天叢雲剣」(あめのむらくもの剣)です。ヤマトタケル命がオロチの退治
に使った「草薙剣」はこの「天叢雲剣」なのです。したがって、これから次の図式が成
立します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ヤマトタケル命=草薙剣=天叢雲剣=スサノオ命
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これにより、ヤマトタケル命はスサノオ命と同一人というこになり、一応矛盾は解消
します。
続いて、大国主命(おおくにぬしのみこと)について考えましょう。大国主命といえ
ば、因幡の白ウサギを助けた神様で、ヱビス様と並んで庶民にもっとも親しまれている
神様です。「大国」をそのまま「ダイコク」と呼んで「ダイコク様」という呼称さえあ
るのです。
大国主命と似た名前に「大物主命」があります。記紀神話によれば、大物主命は三輪
山に鎮座する大神であり、その正体は蛇とされています。日本書紀によれば、大物主命
=大国主命とされていますが、神社伝承学の立場からいうと、大物主命=大国主命とい
うかたちで伝えている神社は、昨日のEJでご紹介した奈良の大神神社だけであり、他
の神社は両者を別神として祀っているのです。どうして別神なのでしょうか。
大国主命はいわゆる小物であり、たまたま大物主命とことばが似ているために同一視
されたか、あるいは体制側の何らかの思惑によって、あえてそうさせたとも考えられま
す。このことはあとで次第に明らかになります。
大国主命にはいくつかの別名があるのですが、そのなかに「八千矛神」(やちほこの
かみ)というのがあります。「矛」とは武器のことで、いくつもの剣を持った神という
意味になります。
全国に「八」という字のつく神社が多くあります。八剣神社、八雲神社、八坂神社、
八重垣神社・・・。問題は、それらの祭神がスサノオ命であることなのです。千葉県に
ある八剣八幡神社の伝承には、八剣大神はスサノオ命であると記されているのです。
神社伝承学によると、八千矛神の正体はスサノオ命であり、それがあるとき、体制側
の策略によって大国主命の別名とされ、大国主命と大物主命が同一視されるようになっ
て、スサノオ命とニギハヤヒ命が同じ八千矛神という名称を持つようになったというの
です。それにしてもその存在の重要性にもかかわらず、ニギハヤヒ命は不当にその存在
が隠されているように思います。
以上のことから、次の図式が得られます。つまり、スサノオ命はニギハヤヒ命のこと
であり、それは天照大神を意味することになるということです。
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ニギハヤヒ命=大物主命=大国主命=八千矛神=八剣神
=スサノオ命
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だれでも知っている神様、天照大神、大国主命、ヤマトタケル命、スサノオ命の関係
については概略明らかになったはずです。そのうえで天皇の系譜に戻ることにします。
ここでEJ587号で述べた神武天皇東征の記述を思い出していただきたいのです。
神武天皇は生まれも育ちも九州ですが、ニギハヤヒ命も九州に土台を置いていたことは
確かです。
ニギハヤヒ命はあるとき畿内に進攻し、先住民の王族と同化して、畿内王朝を成立さ
せたと考えられます。そのあと、神武天皇が同じく東征し、その畿内王朝と戦います。
ナガスネヒコ軍が抵抗して苦戦はしますが、神武天皇は勝利を収めます。
その後ニギハヤヒ命はどうなってしまったのでしょうか。はっきりしないのです。一
般的にいって、敗れた者の歴史は残らないはずです。そういう意味でニギハヤヒ命の業
績が歴史書から抹殺され、歴史に残らなかったのでしょうか。
それにしても全国の神社において、さまざまな神の名をもってニギハヤヒ命は祀られ
ています。記紀などの歴史書からは抹殺したが、神社の伝承からは抹殺できなかったの
でしょうか。
もうひとつの考え方があります。初代天皇はニギハヤヒ命ではないかという考え方で
す。ニギハヤヒ命は、畿内を制圧し、畿内王朝を立ち上げ初代の天皇になりましたが、
神武天皇はその畿内王朝を制圧して天皇位を継承したという考え方です。そうすると神
武天皇は2代目の天皇ということになるのです。
しかし、ニギハヤヒ命の別名には「天照大神」が入っているのです。神武天皇は天照
大神を最高神としていただいており、抹殺した名前を最高神にすることは絶対にあり得
ないことです。このあたりのことはアカデミズムにおいても明確ではないのです。
ところで籠神社の主祭神は「火明命」ですが、神社の極秘の伝承によると、籠神社は
養老元年(717年)までは「彦火火出見命」(ひこほほでみ命)を祀っていたという
のです。ある事情により、「火明命」を祀るようになったというのです。
これは何を意味するのでしょうか。「彦火火出見命」とはどういう神様なのでしょう
か。明日から、これをキーワードとして天皇の系譜の謎を解いていきます。
・・・[日本人のルーツ/04]
前回「天照大神=ニギハヤヒ命=神武天皇」という衝撃的な事実をご紹介しました。
これによると、「天照大神は神武天皇である」ということになります。ところで「天照
大神=神武天皇」とは、何を意味するのでしょうか。
古代の神話の中には、さまざまな神や人間が登場します。天照大神は神ですが、神武
天皇は人間なのです。神武天皇という人間の中に皇祖神としての天照大神が存在するの
です。つまり、天照大神には、2つの意味があるのです。1つは神としての天照大神で
あり、もう1つは、人間としての天照大神です。この人間としての天照大神が神武天皇
なのです。天皇が現人神といわれた時代がありましたが、このような考え方からきてい
るのです。
さて、天皇の系譜では、神武天皇からはじまって崇人天皇までが10代ですが、第2
代の綏靖天皇から第9代の開花天皇までの8代は「欠史8代」といって実在しないこと
が明らかになっていることは既に述べました。
このことから、次の式が成立し、初代天皇は崇人天皇ということになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
天照大神=神武天皇=崇人天皇
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それでは、この崇人天皇はどういう天皇だったのでしょうか。
崇人天皇については、朝鮮半島から日本列島に侵入してきた騎馬民族の大王であると
いう説があるのです。しかし、この詮索はここではふれないことにします。
昨年末に中公新書から刊行された遠山美都男氏の著作、『天皇誕生/日本書紀が描い
た王朝交替』の冒頭に興味深い逸話が紹介されているので、ご紹介しましょう。
日本人のある僧侶が中国第2代皇帝、太宗に謁見したという話があります。時は中国
、北宋の時代、日本では平安時代の前期に当ります。そのときその僧侶は「王年代記」
なるものを太宗に提出したというのです。「王年代記」には、天御中主に始まる神々の
系譜に続き、神武天皇から円融天皇(第64代)までの名前が連綿と書き連ねられてい
たといいます。
引見のあと、太宗はある宰相を前に深い嘆息をもらし、次のように語ったというので
す。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『日本など、所詮は島国の夷人にすぎぬ。それなのに、王位を
代々世襲してはるかに長く、その臣下もみな世襲して絶えるこ
とがないという。・・島国の夷人とはいえ馬鹿にはできぬぞ。
これぞ古の道にかなうものだからだ』。(前掲書より)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
これを読むと、架空の神や天皇を多くはさんだ意味がよくわかると思います。万世一
系の系譜には大変な価値があったのです。さて、天皇位に就くまでの記録は残っている
が、そのあとの記録のない神武天皇と、就任までの記録はないが、就任してからの記録
がある崇人天皇とは、2人の天皇を合わせると、ぴったりと1人分になります。そのた
め「神武天皇=崇神天皇」という式が成立することになります。
ところで、名前に「神」がつく天皇がもう1人います。第15代応神天皇です。現在
の天皇、今上天皇は125代になりますがその125天皇中「神」のつく天皇は神武、
崇神、応神の3人しかいないのです。
応神天皇は九州の筑紫で生まれたとされています。成人になると応神天皇は九州を出
て畿内へと進出し、そこで王権を確立します。九州から畿内へ騎馬民族の大集団が侵攻
し、先住民を征服して大和朝廷を開いたとされているのです。また、応神天皇の拠点が
河内地方にあったので、この王朝を「河内王朝」と呼ぶこともあります。
しかし、この話は何かに似ていると思いませんか。そうです。神武天皇の東征とそっ
くりです。神武天皇は日向で生まれ、一時筑紫にも住んでいます。その宇佐を経て、や
がて畿内へと侵攻しているのです。まさにそっくりです。アカデミズムも神武天皇と応
神天皇の伝説が非常に似ていることを認めています。この関係から次の式が成り立ちま
す。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
神武天皇=東征ルート=応神天皇
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
神社伝承学の立場からも検証してみます。応神天皇という人は非常に多くの神社で祀
られているのです。その神様の名前は「八幡神」です。どこにでもある八幡神社です。
八幡神信仰の発祥の地は北九州です。現在、八幡信仰の中心地には、宇佐八幡宮があ
ります。宇佐八幡宮の「宇佐」は神武天皇が住んでいたとされる土地です。
また、鹿児島に鹿児島神宮という神社があります。この神社は別名「本八幡宮」とい
うのです。この本八幡宮の主祭神はあの「天火火出見尊(あまのほほでみのみこと)」
なのです。
また八幡神の「八」に注目すべきです。八坂神社、八雲神社八重垣神社、八剣神社、
八千矛神社とくれば、スサノオ命です。八幡神の正体はスサノオ命と考えられます。
このことから、次の式が得られます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
応神天皇=八幡神=スサノオ命=ニギハヤヒ命=ホホデミ命
=神武天皇=崇神天皇
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
これにより、神武天皇、崇神天皇、応神天皇の3天皇は同一人物であることがわかり
ます。天皇の系譜は、第2代から第9代の「欠史8代」だけではなく、第11代〜第1
4代についても存在しない天皇だったのです。 ・・・[日本人のルーツ/07]
神武天皇、崇神天皇、応神天皇は同一人であるということを前提にして古事記から天
皇が何をやったかをクールに調べてみるとそれが「相次ぐ戦い」であったことがわかり
ます。それも圧倒的な戦力で、刃向う勢力を次々と制圧して行く、明確な目的をもった
戦いなのです。
その侵攻ルートは、九州から畿内へと軍を進め、難波、河内地方にも王権を確立して
います。その目的は、日本列島の征服なのです。古事記は神武天皇をそういう侵略者、
征服者として描いているのです。神武天皇は日本列島の征服者であり、侵略者であり古
代の覇王だというのです。
神武=崇神=応神のいずれの天皇もその出発点は九州ですが、イメージとしては、日
本の外から九州に上陸し、九州を平定してから畿内に攻め上ったと考える方が自然であ
ると思います。それなら神武天皇はどこから渡来してきたのでしょうか。
応神天皇の時代に朝鮮半島から多くの渡来人がきているという事実があります。秦氏
、漢氏、呉氏、王仁氏・・・など、ほとんどの渡来人はこの時代にきているのです。し
かも、数が非常に多いのです。あの秦氏にいたっては、最終的には1万人もきているの
です。
こういうことから、応神天皇自体も渡来人ではないかという説もあるのです。歴史学
者の井上光貞氏は、応神天皇は、朝鮮半島から直接渡来してきた大王であるとし、初代
天皇こそ応神天皇であるとする「応神天皇始祖論」を展開しています。
そのことはさておき、「神武天皇=崇神天皇=応神天皇」の3人の天皇が活躍した時
代を中をとって崇神天皇の時代とすると、大体4〜5世紀に相当するのです。
この時期が日本征服の時期であるとすると、非常に興味深いことがあるのです。ちょ
うど、その直前に歴史上から姿を消した国があるからです。それが邪馬台国なのです。
応神(神武)天皇が征服した国とは、邪馬台国のことではないでしょうか。
中国の史書「魏志倭人伝」の記述が正しいとすれば、卑弥呼が魏に使者を送ったのは
239年のことです。その後、卑弥呼が死んで男王が立ったのですが、邪馬台国は大混
乱に陥ります。
そこで、台与(とよ)という女王が王位をつくと、何とか混乱は収まったのです。こ
れが250〜260年ごろのことです。ところが、一方の中国が大混乱して魏が滅亡し
てしまうのです。そして、それに代わって覇権を握ったのは、西晋(せいしん)という
国なのです。
邪馬台国の女王台与は、266年に西晋に使いを送り、正式に国交を樹立します。
「魏志倭人伝」は、この時期に完成しているのです。ところが、266年に台与が西晋
に使いを送ったという記録を最後に邪馬台国は歴史上から姿を消してしまうのです。そ
して邪馬台国はいまもってその行方は知れないのです。
ここで注目すべきは、東京大学名誉教授江上波夫が唱える「騎馬民族征服王朝説」で
す。この説によると、4世紀頃、大陸の騎馬民族が朝鮮半島を経由して日本列島に侵入
し、邪馬台国をはじめとする倭国を次々と征服して中央集権的な国家を作りあげたのです。これが大和朝廷だというのです。
これについて少し研究してみましょう。
紀元1世紀ごろに朝鮮半島に存在した国家というと、次の3つが上げられます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1.馬韓(ば かん) ・・
2.辰韓(しんかん) ・・・・ 古代朝鮮3韓
3.弁韓(べんかん) ・・
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
最初は、「馬韓」があったのです。そこに秦(しん)の国の人が多くやってきたので
す。秦の役を避けてきたと文書に記されています。彼らは馬韓の人たちとは生活習慣が
違うので、別々に住むようになったというのです。
彼らは万里の長城よりも外側に住む非漢民族の遊牧民であり、多くの民族からなって
いたのです。その中には騎馬民族も含まれています。彼らは朝鮮半島にやってきてから
「辰韓」と「弁韓」という2つの国家分かれるのです。その内実は、それぞれ12の国
(全部で24国)からなっており、その中にはあの謎の渡来人秦氏も含まれていたので
す。
さて、辰韓と弁韓は、両国をあわせて「弁辰」と称するようになり、ひとりの大王を
いただくのです。これが幻の大王といわれる「辰王」なのです。彼は、騎馬民族出身の
大王であり、弁辰で朝鮮半島の3分の2を領土としたのです。
当初は、馬韓の支配下にあった辰王ですが、徐々に勢力を拡大し、馬韓領内の「月支
国」(げっしこく)をその支配下に置くようになり、馬韓にも影響を与えるようになり
ます。
紀元3世紀になると、朝鮮半島に異変が起こります。それまで国家の中の一民族の力
が拡大し、国全体を変化させてしまったのです。
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馬韓 → 百済(くだら)
辰韓 → 新羅(しらぎ)
弁韓 → 伽耶(か や)
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この異変に対して月支国にいた辰王はリーダーシップを発揮しそのまま百済の王に
なるのです。この時点で馬韓は騎馬民族国家に姿を変えるのです。そして、辰王の宗家
は、もともとの拠点であった弁辰の地へと移動します。そこは、かっての弁韓の地であ
り、当時伽耶の領地となっていたのです。記紀では、この地を、「任耶」(みまな)と読
んでいますが、この名前を覚えておく必要があります。そこは、朝鮮半島の南端です。
このとき、中国にも異変が起こっていたのです。西晋の中国統一が崩れはじめたので
す。 ・・・ [日本人のルーツ/08]
日本の古代史に「4世紀の謎」というものがあります。今朝はこの話からはじめま
す。
紀元2〜3世紀の中国といえば、戦国時代、「三国志」の時代です。魏、蜀、呉の3
国が覇権を争い、お互いに一進一退を続けていたのです。そして、結局は漢王朝を継承
する魏が勝利して、三国志の時代は終るのです。
邪馬台国の女王、卑弥呼は魏とかねてから親交を深めていたのです。そのため史書
三国志」の中の「魏志」には「倭人の条」が設けられているのです。これが「魏志倭人
伝」です。
卑弥呼が死んで、男王が何人か立ったのですが、国内が反乱し情勢が不安定になりま
す。しかし、女王台与が即位すると混乱は収まるのです。ちょうどその頃中国には異変
が起こります。西晋が魏を滅ぼして天下をとります。台与は直ちに西晋の皇帝に遣いを
派遣して親書を送るのです。これが266年のことです。
邪馬台国にとってこれが歴史に残る最後の記録となります。以後中国の歴史書に「倭
国」の文字はないのです。つまり邪馬台国は歴史から消えてしまったのです。そして、
再び倭国の名前が登場するのは5世紀になってからです。その間ちょうど100年間、
倭国の歴史はスッポリ消えてしまったのです。
3世紀までの記録はあるのですが、次に記録があらわれるのが5世紀ということです
から、世紀の記録が消滅してしまっているということです。しかし、これだけなら「謎
の4世紀」とはいわないのです。もっと大きな謎があるからです。
それは、3世紀までの日本と5世紀以降の日本とでは、文化が劇的に変わってしまっ
ているからです。3世紀までの日本は小さな国単位の農耕文化だったのですが、5世紀
以降の日本は中央集権的な古墳文化へと姿を変えてしまったからです。そのため4世紀
を「謎の4世紀」と呼ぶのです。
一体4世紀に何があったのでしょうか。
紀元4世紀に最も変化したのは墳墓なのです。それまでは、全長が数メートルから大
きくても十数メートルほどの墳丘墓が中心だったのが、5世紀には一気に100メート
ルを超える古墳が出現しているのです。形も円墳、方墳などといった単純なかたちから、鍵穴の形をした前方後円墳が主流となっています。
第16代の仁徳天皇の陵墓は、全長が475メートルもあり、世界的に見ても、面積
ではエジプトのピラミッドや中国の秦の始皇帝陵墓をも上回る超巨大墳墓なのです。
これらの巨大な古墳をすべて発掘すれば古代史の重要な手がかりがつかめますが、巨
大古墳はそのほとんどが古代天皇の陵墓に指定されていて手が出せないのです。そのた
め、4世紀は一層謎につつまれたままです。
しかし、天皇陵墓に指定されていない古墳からはいろいろな事実がわかってきていま
す。その特徴は次の2つです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1.農耕儀礼で使われるものから黄金の装飾品
2.馬具、鉄製の鎧、矢尻が多数出土している
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3世紀までの出土は、農耕儀礼で使われる鏡、勾玉、剣が中心だったのですが、巨大
墳墓からは黄金の装飾品、王冠、首飾り、腕輪、指輪などのきらびやかな品が多く出土
しています。
もうひとつ特徴的で注目すべきことは、馬具が多く出土していることです。馬面の冑
(かぶと)、鞍、馬の埴輪など馬に関連した品々が数多く出土していることです。
「魏志倭人伝」によると、倭国には、牛や馬などの家畜は存在しないと明確に記され
ているのです。それなのに、なぜ、馬に関する品が出てくるのでしょうか。
馬だけが海を渡って日本に来るはずはありませんから人間も一緒に来ているのです。
それに巨大墳墓の数々の副葬品は朝鮮半島のものにとても似ているのです。
ここで、ひとつの仮説が立てられます。朝鮮半島の何らかの勢力が馬と共に九州に侵
攻したちまち九州を平定、しかるのち畿内に攻め上ったのではないかという仮説です。
つまり、日本は朝鮮半島からのある勢力に征服されたという説です。
この仮説を多くの資料から裏付けたのが、東京大学名誉教授である江上波夫氏が主張
する「騎馬民族征服王朝説」なのです。しかし、記紀の編纂者は、万世一系の天皇のか
たちを整えるため神武天皇にはじまって、応神天皇まで15代の天皇が続いたというウ
ソの記述をして真の歴史を隠したのです。
江上氏の「騎馬民族征服王朝説」を検証するには、昨日に続いて当時の朝鮮半島の状
況についてもっと知る必要があります。朝鮮半島から海をわたってどういう民族が日本
を襲ったのか特定しなければならないからです。
紀元3〜4世紀は、中国大陸の混乱を受けて朝鮮半島情勢も不安定になっていたので
す。北方の騎馬民族「高句麗」が南下して百済、新羅、伽耶に脅威を与えるようになり
百済の王の辰王は伽耶にきていたのです。伽耶は「任那」(みまな)と呼ばれ、日本と
は深いかかわりのある国なのです。
しかし、北方の騎馬民族の脅威が日増しに強くなるに及んで、辰王は進路をさらに南
に向けて、倭国を目指すことを決めます。辰王は、以前から朝鮮半島と交流のあった北
九州の諸国と緊密な連絡をとり、朝鮮半島の南端から対馬、壱岐へと進み、九州に上陸し、瞬く間に騎馬民族の機動力を発揮して九州全土を平定してしまいます。
辰王は、九州の倭国と連合国家というかたちで平定し、5世紀になって東を目指して
進軍、畿内に攻め入り、強大な王権を築くのです。これが大和朝廷であるとするのが江
上氏のいう「騎馬民族征服王朝説」なのです。
実は「騎馬民族征服王朝説」の発表によって、神武天皇からの15代に大きなウソが
あることがはっきりしてきたのです。ところで辰王とは何者なのでしょうか。
・・・[日本人のルーツ/09]
4世紀において、朝鮮半島から日本列島に進入してきた騎馬民族の大王、辰王は果た
して何者でしょうか。
騎馬民族征服王朝説の江上教授は、第11代崇神天皇こそ辰王であるというのです。
どうしてそう断定できるのでしょうか。
そのカギは「任那(みまな)」にあります。任那とは朝鮮半島の南端の伽耶(かや)
のことです。古事記によれば、崇神天皇には「所知初国之御真木天皇」という名前があ
ります。この中の「御真木/ミマキ」という部分に注目していただきたいのです。日本
書紀では字が違うものの、やはり「御間城」とあり、これも「ミマキ」と読むことがで
きます。
江上教授は「任那」を「ミマ・ナ」と分解。朝鮮語で「ミマ」は大王、「ナ」は国と
解釈し、「大王の国」の意味であるとしてこれが騎馬民族の大王、辰王の国であると考
えたのです。さらに江上教授は、「御真木/ミマキ」は「ミマ・キ」と分解し「キ」は
城であるとして、大王の城と解釈したわけです。
どうして大陸の「任那」と自分の名前を関連づけたのでしょうか。そんなことをする
必要がどうしてあるのでしょうか。
これについて作家の井沢元彦氏が、その著書『逆説の日本史』の中で興味深いことを
述べておられます。
1066年にフランスの地方豪族であったノルマンディー公ウイリアムは、ドーバー
海峡を渡ってイングランドに侵入します。そして、先住民を征服して諸国を統一、自ら
「ウイリアム1世」と名乗ってノルマン朝を開いたのです。
ウイリアム1世の子孫はイギリスの土地になじんでイギリス人になりましたが、ウイ
リアム1世はあくまでフランス人です。自分の故郷であるノルマンディーは重要な拠点
であり、そこに強い愛着を感ずるのは当然のことです。事実、ウイリアム1世は死後ノ
ルマンディーに埋葬されているのです。
この井沢氏の説を江上教授の騎馬民族征服王朝説に当てはめると、崇神天皇にとって
朝鮮半島はフランス、伽耶=任那はノルマンディー、日本列島はイギリス、大和朝廷は
ノルマン朝に該当するといえます。
さて、すでにEJでは、神武天皇=崇神天皇=応神天皇という結論を出しています。
これら3人の天皇は同一人であり、初代天皇は応神天皇であるという主張です。その結
果、2代から9代、11代から14代の12人の天皇はすべて架空の天皇ということに
なるのです。アカデミズムでは、2代から9代までについては「欠史8代」としてそれ
を事実と認めています。
記紀では、この3人の天皇を巧妙に使い分けています。象徴としての神武天皇、九州
を平定した崇神天皇、畿内に攻め上り、大和朝廷を開いた応神天皇というように、本来
1人であるはずの天皇をこのように使いわけているのです。
しかし、日本の初代天皇は応神天皇です。神武天皇、崇神天皇は応神天皇の投影に過
ぎないのです。このように考えると、朝鮮半島から日本列島に侵攻してきた辰王は、応
神天皇ということになります。
応神天皇の率いる騎馬民族軍団は圧倒的な軍事力を持っていたのです。彼らにとって
当時の倭国などは、取るに足らない存在であったと思います。したがって先住民すべて
を虐殺して征服することも可能だったはずです。
しかし、応神天皇はそういう方法は採らなかったのです。先住民を懐柔し、自らが倭
国の王家に婿入りすることによって倭国との連合をスムーズに果たし、そのうえで君臨
したのです。このようにして、九州王朝が確立するのを待って、その拠点を一気に畿内
に移したのです。
それでは応神天皇の婿入りした王家とは、具体的にはどの王家を指すのでしょうか。
結論からいうと、応神天皇が渡来してきた日本列島は物部王国だったのです。いずれ
EJでも取り上げますが、物部氏は、海部氏、尾張氏とイコールであることがわかって
います。また、この物部王国こそ邪馬台国であるという説があるのです。アカデミズム
もこれに肯定的です。
3世紀までの倭国は、弥生文化といって小さな部族が連合した農耕中心の国家だった
のです。その当時日本列島を支配していたのが邪馬台国であり、女王卑弥呼が君臨して
いたのです。その卑弥呼が死んだあと、何人かの男王が王位を継ぐのですが混乱が続き
台与(とよ)という女王が、就任して混乱が収まったということを昨日のEJで述べま
した。
台与は西晋が魏を滅ぼし、中国を平定したと聞くとその国交樹立のため動いています
が、4世紀になると邪馬台国は歴史上から姿を消してしまうのです。そして、5世紀に
なると、農耕国家であったはずの倭国の文化はガラリと変わっていたのです。それもま
るで別の国になってしまったような変わり方なのです。
この4世紀に朝鮮半島から応神天皇の一族が海を渡り日本に侵入し、征服してしまっ
たというのが騎馬民族征服王朝説の考え方なのです。それなら、文化が変わっても不思
議はないですね。そうすると、応神天皇の一族が電撃的に邪馬台国を征服したことにな
るのです。
実は、記紀の編纂者はあらゆる手段を駆使して抹殺しようとしていますが、邪馬台国
2代目の女王の台与には卑弥呼を殺害したという疑いがあります。記紀では台与の存在
とその行為を隠そうとして、台与の業績を「神功皇后」という天皇家の一員にかぶせる
ことによって事実を隠蔽したとされています。
「神功皇后」については、ここまで言及していませんが、夫は仲衷天皇(第14代/
架空)、その子供が応神天皇なのです。したがって実在した人物であることは確かなの
ですが、その行動は謎につつまれています。彼女は天皇ではありませんが、その名前に
「神」が使われており、大和朝廷にとって重要な人物であることは確かです。・・・[日本人のルーツ/10]
既にいろいろ述べてきたように、日本人の文化の深層には、南方系農耕文化と北方系
騎馬文化が混在しています。日本人は、この両方の文化の影響をもろに受けているので
す。
それでは、日本古来の神道はどこからきたのでしょうか。神道の儀礼の中心は稲作で
あり、南方系農耕文化からきているという説はそれなりに説得力があります。
しかし、神道で欠くことができないのは神社です。EJで取り上げてきた日本の古代
史の究明においても、神社というものを抜きには考えられないのです。
ちなみに名前を知っている神社を上げてみてください。伊勢神宮、八幡神社、松尾大
社、日枝神社、氷川神社、出雲大社、諏訪神社、靖国神社、白山神社。少し年配の人で
あれば、最低でも10くらいの神社名をあげることはできるはずです。それほど、神社
は日本人の生活と切っても切れない関係にあります。
その神社の主祭神はどうでしょうか。
天照大神、八幡神、スサノオ命、大国主命、松尾大神・・、そのほとんどは、神武天
皇の別名です。神武天皇は騎馬民族であることは既に解明してきましたが、そういうこ
とから、神社は騎馬民族の文化であると考えざるを得ないと思います。
それに、神社の創建者を調べると、秦氏、加茂氏、漢氏、辛嶋氏、三輪氏・・・とい
うように、渡来系が非常に多いのです。この中で特徴があるのは、古い神社でそれなり
の格式を持っている神社、例えば大神神社、籠神社、龍田神社、広瀬神社、熊野三山、
玉置神社、大和神社などのほとんどは崇神天皇の創建になっていることです。
ここで思い出していただきたいのは、日本列島に侵入してきたと考えられる騎馬民族
は、先住民を虐殺したりせず、王家に婿入りするなどして、時間をかけて先住民との同
化政策をとったとみられることです。そうであるとすると、南方系の農耕文化と北方系
の騎馬文化が混合しても不思議はないのです。
神道は大別すると、次の3つがあるといわれています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1.縄文神道 ・・・・・ アミニズム
2.弥生神道 ・・・・・ 稲作・農耕信仰
3.神社神道 ・・・・・ 祈りの場所
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縄文神道とは、日本列島における最古の信仰といわれます。自然界におけるあらゆる
存在に神が宿っていると考えるのです。山の神、海の神、岩に宿る神など、日本人がも
っとも素朴に抱いている信仰といえます。
これに対して弥生神道とは、稲作をはじめとする農耕に関連した神々の信仰のことで
す。畑作の豊作を祈念したり食物の神が対象となるのです。大嘗祭(だいじょうさい)
における稲作に関わる神々への信仰は弥生神道をルーツとするものです。
縄文神道と弥生神道における神の祭場は基本的には自然そのもの、大きな樹木とか、
大きな岩に神が宿るという考え方です。以上は紀元3世紀までの神道なのです。
神社神道は、祈りの場として建物を建立するということに特色があります。これが神
社です。いつ頃から神社が建立されるようになったかについては諸説がありますが、弥
生時代の後期から古墳時代にかけてということなので、やはり4世紀から5世紀という
ことになります。
古い神社伝承によると、創建者は古代天皇が多いのです。中でも崇神天皇と応神天皇
が多いのです。既に述べたように、神武天皇=崇神天皇=応神天皇はですから、すべて
同一人なのですが、記紀では、3人の天皇を次のような役割づけをしています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
神武天皇 ・・・・・ 武力 ・・・ 軍事的な征服者
崇神天皇 ・・・・・ 崇拝 ・・・ 宗教的な司祭者
応神天皇 ・・・・・ 応答 ・・・ 政治組織統治者
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
神社の創建者に古代天皇が多いというところから、神社神道は明らかに騎馬民族の信
仰といえます。この神社が遠くイスラエルにつながってくるのです。
鎌田東二著『神道とは何か/自然の霊性を感じて生きる』(PHP新書)の冒頭に折
口信夫について次の記述があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『民族学者折口信夫の著書に「古代研究」がある。その第二巻
「民俗学篇」の冒頭は「妣が国へ常世へ」と題されたエッセイ
である。(中略)折口信夫は大王崎という、伊勢の志摩半島の
岬の突端に立ったとき、自分の中にわき起こってきたノスタル
ジーについての言及からこのエッセイをはじめている。私たち
の祖先が悠久の過去に太平洋の荒波ほ渡ってこの島にやってき
た。黒潮を前にしてはるかかなたの海上を望んだとき、なんと
も名状し難い望郷の念、ノスタルジックな感情がわき起こって
きたことを折口信夫は一つの驚異の体験として描いている』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
・・・ [日本人のルーツ/11]引用終わり。ところどころ大まかに省略あり。
興味深い記事でした。(長くて読みにくいかも)
この記事は参考までに・・・史実?をいろんな側面から検証したもの、という感じで
読んでみるといいかも。
>神武天皇は日本列島の征服者であり、侵略者であり古
代の覇王だというのです。現代の日本の政治や宗教すべてを物語っている感じ。
自民党(清和会)=統一教会=文鮮明=韓国=北朝鮮、だし
公明党=創価学会=池田大作=韓国・済州島出身、だし。
大和朝廷=日本の朝廷ではなかったってこと。
そして聖徳太子によって仏教が広められている。
蘇我氏の出自も朝鮮=高麗
まぁ純日本人って何だろう?と思いますが。
少なくともたまたま地球上の大地が海に覆われて別れているように見えるので
どこに生まれ出たか?の違いではあるけれど・・・
日本は大和朝廷が出来るまでは
独自の文化を生み出し育んでいたようなので
この朝鮮からの侵略者の史実を
明らかにしないのは
日本の始まり〜根本を理解できないということだと思う。
この記事を読んでから?
地球の謎解きで明かされたチャネリング情報
ヤマタイコク物語を読むと
とても自然に真実の歴史を知ることができるように思う。
記事とは関係ないけど
寒くなる前に空の服を作ってあげないとなー(関係なさ過ぎ〜)
- 2008/08/23(土) 10:05:17|
- 日本の動向|
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いつも書き始めは何にも考えずに書くけど
今日もそう。
いつも見る他の方のサイトをぐる〜っと見ていると
あっという間に1時間以上かかってしまう。
特に政治の話は難しいけど
大まかに何か知っているような気がしてサラサラっと読み流す感じ。
でも相変わらず新聞の政治欄は苦手。
意味が分からなくてイライラしてくる。そんな時は天木さんのブログなどで
すっきりとする。
昨日の私のお気に入りブログの
『宇宙に何か?』はとても興味深かった。
さらっと読み流しただけだけど
また今日明日にでもじっくり読んで
私なりに感じることを書いてみようかなー。
まずさらっと読んで思うのが
無知に近い自分の頭。って感じかなー

でもだからこそ毎日が新鮮だし
知ることが楽しい

しかも『
地球の謎解き』や『宇宙に何か?』などの情報は