ひとりごと☆+゜山と空と大地に囲まれて・:*:・゜☆。・:*:・゜・:*::

飛騨に嫁いで6年。のんびりと暮らすある日、偶然にも里親制度を知り子供を授からない寂しさより、施設で暮らす多くの子供たちの存在に想いを馳せるように・・・。自分に出来ることはなんだろう?・・・主人と百と空と共に・・・・・気負わずに・・・・・・。
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カミオカンデと神岡鉱山 

やっぱりカミオカンデが気になり
昼からネット徘徊。

途中から
神岡最大の産業?の神岡鉱山のことも気になり
カミオカンデが鉱山の跡地に創られたこと(!)と
今までの経緯、今後のことが何か繋がっているような気がして
ちょっと調べてみました。

事実、史実・経緯として繋がっているし。




2001年11月13日 東大 宇宙線研究所 神岡宇宙素粒子研究施設】

岐阜県神岡町にある東京大学宇宙線研究所 神岡宇宙素粒子研究施設の観測装置「スーパーカミオカンデ」で 12 日、観測の目にあたる光センサー(光電子増倍管)数千本が損傷する事故が起きた。何らかの理由で 1 本が壊れた結果、水圧の不均一が生じて連鎖的に残りが壊れた可能性があるとみられている。同日、早期の原因究明に向けて事故調査委員会が設置された。

ちなみに同時期の事件事故。
2001年11月12日 ニューヨークで米旅客機墜落


2001年11月13日 東北・上越・長野新幹線一時全面ストップ  変電所トラブル




2001年6月25日 asahi.com (2001.06.19)】
太陽内部でできる素粒子「太陽ニュートリノ」に質量があることを示す観測結果を得たと6月18日、カナダ、米国、英国の共同研究グループが発表した。東京大学宇宙線研究所などのグループが1998年、ニュートリノに質量があると発表した結果を別の観測で裏付けたことになり、ニュートリノの質量問題は大きく決着に近づいた。膨張か収縮か、宇宙の運命を決める宇宙全体の質量をめぐる論議にも影響を与えそうだ。

http://www.astroarts.co.jp/news/2001/06/20neutrino/index-j.shtml



実は小柴先生よりも少し前に,アメリカのデービス博士がこの太陽ニュートリノの発見をしていた。
やはり,山奥の鉱山に巨大なタンクを作って観測していた。
小柴先生の装置とはすこし異なる。
2002年に,小柴先生と同時受賞したが,二人が同じ結果を出したので,太陽の中で核融合が起こっていることが完全に証明された。



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以下、神岡鉱山の100%親会社である三井金属のホームページより

こうして1983年に完成されたのが、カミオカンデだったのです。地下1000mという場所に、当時としてはとてつもなく大きな空間が築かれました。わたしたち三井金属がこれまで培ってきた鉱山技術は、この時、岩盤エンジニアリングとして新たな実績を生むこととなったのです。

http://www.mitsui-kinzoku.co.jp/more/kouzan04.html
http://www.mitsui-kinzoku.co.jp/more/kouzan02.html

1983年(昭和 58 年) 東京大学宇宙線研究所 カミオカンデ建設
1986年(昭和 61 年) 坑内重機整備工場建設
1989年(平成 元 年) 京都大学 ジオモトグラフィー実験研究
1990年(平成 2 年) 岩盤内圧縮空気貯蔵(CAES)実験
1991年(平成 3 年) 岩盤実験研究施設建設
東京大学宇宙線研究所 スーパーカミオカンデ着工
1992年(平成 4 年) 地下減圧室建設
1993年(平成 5 年) 東京大学模擬高地トレーニング研究
1996年(平成 8 年) 東京大学宇宙線研究所 スーパーカミオカンデ完成
2002年(平成 14 年) 東北大学ニュートリノ科学研究センター カムランド建設


神岡鉱山の歴史
720 年頃 黄金を産し天皇に献じた口伝あり。
1589 年 越前大野の城主、金森氏の家臣、糸屋彦次郎(後の茂住宗貞)が鉱脈を発見。
金山奉行として茂住鉱山、和佐保銀銅山を経営した。
1600 年頃 飛騨地方は江戸幕府の天領となり、文化14年(1816)には前平坑を幕府直轄の鉱山(御手山)とした。
1874 年 三井組が大留・前平・蛇腹・鹿間の各坑(栃洞坑)を買収し、鉱山経営を開始。
1886 年 鹿間谷で洋式鉛製錬を開始。
1889 年 茂住坑を取得し、経営は神岡全山に及ぶ。
1905 年 鹿間選鉱場建設。
1927 年 鹿間選鉱場に優先浮遊法を採用。
1943 年 亜鉛電解工場完成。
1968 年 栃洞坑にトラックレス・マイニング法が我が国で最初に導入。
1986 年 三井金属より分離・独立。神岡鉱業株式会社設立。
2001 年 神岡鉱山鉱石採掘中止

wikipedeiaより
神岡鉱山(かみおかこうざん)は、岐阜県飛騨市(旧吉城郡神岡町)にある亜鉛・鉛・銀鉱山。奈良時代養老年間(720年ごろ)に採掘が始まり、明治7年(1874年)に三井組が経営権を取得、近代化により国内初のトラックレス・マイニング法を取り入れるなど、大規模採掘を続けていたが、2001年6月に鉱石の採掘を中止した。三井組経営からの総採掘量は、約130年間で7,500万トンにも達し、一時は東洋一の鉱山として栄えた。

イタイイタイ病
神岡鉱山の亜鉛鉱石の主要鉱物である閃亜鉛鉱に含まれるカドミウムを原因とする、富山県神通川流域で発生した大規模な公害である。この公害により最も大きく発生した被害は、布団をかぶせただけで骨折し「痛い、痛い(いたい、いたい)」と叫んでしまう「イタイイタイ病」と呼ばれる公害病である。患者が神岡鉱山を操業していた三井金属鉱業株式会社(当時)を相手取り集団提訴し、1971年富山地裁で患者被告が勝訴、名古屋高裁でも勝訴した。日本の四大公害病裁判において、最初の原告勝訴判決で、その後の公害病裁判に大きな影響を与えた。

補足
16世紀から採掘が始まった神岡鉱山は、1874年以降、三井財閥の手で近代的な鉱山として生まれ変わり、国内では不足がちな亜鉛・鉛資源の安定供給源として重要な役割を果たす。かつては直営の鉱山鉄道が笹津〜猪谷〜茂住〜鹿間〜神岡間などで運行されていた。
 だが、国鉄が神岡鉄道(猪谷〜神岡)を開業させた1966年頃から事情が変わってくる。神通川下流部の富山県婦中町などの農村でイタイイタイ病被害が深刻になり、患者団体が三井金属鉱業株式会社を相手取り集団提訴していた。1971年に患者側勝訴の判決が出て、カドミウムの処理に巨額の資金を投じなければならなくなる。


明治時代初期、神岡の鉱山採掘は未だ零細な山師がそれぞれ数坑を持ち行うといった形態であったが、その後三井組が次々にそれらの山師から坑を買収して行き、ついに1886年(明治19年)には和佐保すべてを、ついで1889年(明治22年)には茂住のすべてを手に入れ、これをもって神岡鉱山全山が三井の所有となったのである。以来三井は神岡鉱山に多くの資本を投入して最先端の技術による大規模な採掘を行うところとなるが、のちにはカドミウムが高原川から下流の神通川に流入し、イタイイタイ病を発生させることとなった。



☆wikipedeaより追加
神岡鉱山の採掘及び精錬加工によって、鉱山町としての神岡町は隆盛と衰退を共にした。鉱山最盛期である1950年代後半〜1960年代前半は町民が2万7,000人以上にふくれあがったが、鉱山の合理化、及び、採掘中止に伴い転出が続き、現在は1万1,000人ほどまで減少している。ちなみに、神岡町にある神岡城は昭和45年に三井金属鉱業(株)神岡鉱業所創業100周年記念として建設されたもので、現在も神岡鉱山の施設・鉱石などが展示、紹介されている。町の各所には、鉱員住宅や集会場、共同浴場などが点在しており、鉱山マニアや廃墟マニアを惹きつけている。



ちなみに以前も書きましたが
映画館が5つ?程あったり
その当時の人気芸能人は殆どここ神岡にコンサートや公演などで
集まっていたそう。

義母曰く、美空ひばりさんだけはさすがに来てくれなんだなー
残念やった・・・とこぼしてました。




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スーパーカミオカンデは東京大学宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設を中心に、日本、米国、韓国、中国、ポーランドからの32の大学、研究機関との共同研究で行われている。
スーパーカミオカンデで研究されている、ニュートリノの研究の歴史についてお話します。ニュートリノは数十年前に発見され、ニュートリノ研究は今、科学の最前線となっている。



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ニュートリノの歴史

「1930年ニュートリノが考え出される」オーストリアの物理学者パウリは放射性元素の研究をしていた。

原子核が出す放射線(ベータ線)のエネルギー分布を研究しているとき、パウリはエネルギーがどこかへ消えてしまうことをどう説明すべきか悩む。

そして「電気を帯びていなくて、知らないうちにどこかへ飛び出してしまう、幽霊のような粒子があると考えるとつじつまが合う」と考えついた。
このとき、パウリはこの粒子を「ニュートロン」と呼んでいましたが、これが今日のニュートリノだったのです。ニュートリノは本物が発見される前に、科学者の頭の中で生まれた。


「1933年ニュートリノに名前が付く」イタリアの物理学者フェルミは、パウリの考えた粒子について研究しベータ崩壊の理論を構築していました。1932年に現在のニュートロン(中性子)が発見されていましたので、幽霊粒子のほうを「ニュートリノ」と名づけ直しました。「ニュートラル」は中性、つまり電気を帯びていないという意味、「イノ」はイタリア語で小さいという意味です。

「1956年初めてニュートリノが発見される。」アメリカの物理学者ライネスらは原子炉から生まれるニュートリノを捕まえることに成功しました。命名から20年以上経って、やっとニュートリノは発見されたのです。

「1970年代太陽からのニュートリノを観測」1969年からアメリカの物理学者デイビスが太陽ニュートリノの観測を開始しました。長年実験を重ねた結果、ニュートリノは理論からの予想の1/3程度しか発見されませんでした。このことは、「太陽ニュートリノ問題」と呼ばれ、その後約30年間にわたる物理学上の大問題となりました。

「1987年超新星爆発からのニュートリノを観測。」1987年1月、カミオカンデグループが太陽ニュートリノの観測を開始。
そのわずか1ヶ月後、16万光年彼方の超新星1987Aからやって来たニュートリノを捕まえました。
ここから「ニュートリノ天文学」という新しい学問が始まったのです。

「1989年太陽から来るニュートリノが足りない」カミオカンデグループが太陽ニュートリノの観測を2年間続け、その数が理論より少ないことを発表しました。デイビスとカミオカンデの2つの観測で同じ結果がでたので、太陽ニュートリノの研究がより活発に行われるようになりました。

「大気からのニュートリノの成分比がおかしい」

同じ頃、カミオカンデグループは観測を続けていた大気ニュートリノのデータを調べ、電子ニュート
リノとミューニュートリノからなる成分比が理論の予想と違っている事を発見しました。このことは、後のニュートリノの重さの発見へとつながる重要な結果でした。

「1996年スーパーカミオカンデが完成」
4年以上の歳月をかけて、世界最大、世界最高精度のニュートリノ観測装置「スーパーカミオカンデ」が完成しました。
そしてニュートリノ研究の新世代が始まったのです。

「ニュートリノには重さがあることを発見」スーパーカミオカンデグループは、ニュートリノに重さがある、ということを世界で初めて、発見しました。
それは、素粒子物理学上の基本的な理論の見直しを迫る、たいへん重要な発見でした。

パウリの予言から70年余り、ニュートリノのことは少しずつ解明されてきています。
これからもスーパーカミオカンデはニュートリノの謎を解明していきます。

http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/index.html
公式ホームページより。




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どう繋がっているか、
まだ何となく感じるだけなので、ぼやけた感じ・・・。
また気になることがあれば追って追記していきます。


それにしても神岡は
日本一の岩盤の固さを誇ったり
東洋一の亜鉛発掘鉱山だったり
宇宙最前線科学の発祥だったり
自然、山、さまさま、の歴史と文化なんだなーと改めて感慨深い。

確かに鉱山のお蔭で人々の暮らしは豊かになり
今でも鉱山といえば、まだまだ普通のサラリーマンよりは
優遇されているようだし、歴史的にも飛騨を象徴する大産業では
あったと思うけれど

その史実と共に
事故や公害が起きたり、衰退したり、廃止になる過程があり、
そのこととカミオカンデと地球(宇宙)の叫びとは無縁ではない気がしてくるのだけれど・・・・・。

(よそ者ノ私が書きたい放題ですみませんw愛知県出身。)










[ 2008/08/30 15:48 ] 日本の動向 | TB(0) | CM(0)
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