ひとりごと☆+゜山と空と大地に囲まれて・:*:・゜☆。・:*:・゜・:*::

飛騨に嫁いで6年。のんびりと暮らすある日、偶然にも里親制度を知り子供を授からない寂しさより、施設で暮らす多くの子供たちの存在に想いを馳せるように・・・。自分に出来ることはなんだろう?・・・主人と百と空と共に・・・・・気負わずに・・・・・・。
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ついに相似象! 

相似象・・・というのを最近知り驚いている。

私がずっと知りたかったことだったから。

人間学というのかな、宗教でも精神世界でも化学でもなく
神秘でもなく物理的な人間学。

以前あるブログからカタカムナというものを知り
なんだろう?と少し興味を持ったけど御縁がなかったのか
素通りだった。

でも
この相似象はカタカムナを解説したものらしい。
読み始めると嬉しくて嬉しくて
こころがウキウキする。ただ夕食の用意をするだけでも
鼻歌をすごいテンションで歌ってしまうほど(苦笑)

カタカムナとは
古代文字の種類のひとつ。
大昔の日本人はこれで生活していたそうです。(縄文時代)

http://www.h3.dion.ne.jp/~k-kagaku/z4-1.htmカタカムナ図表

相似象は膨大な思想の大系で、
小さいものは原子の構成から大きなものは宇宙までを解き明かす学問です。

見えないものを「潜象」(せんしょう)といい、原子や時間や心も潜象です。

<潜象勘(せんしょうかん)>

潜象とは目には見えないがたしかにある事象のことです。
幽霊や妖精のことではありません。
それらは神秘思想なので相似象では扱いません。

目に見えない事象。
理由・原因・仕組み・事情・状況・気持ち・・・などです。
小さなモノは原子から大きなモノは宇宙までを
カタカムナ人は望遠鏡や顕微鏡なしで、それらの存在を感受し、
それを文字に書き記しました。
(カタカムナ古文献)
それら目に見えない事象を「感受する能力」のことを潜象勘と言います。


潜象勘のある人とない人がいます。
ある人が(他と比べて)高次のアワを持っているのです。
つまり、アワが波動量化して、知恵や判断力になっていることです。

これのない人にはいくら見ても「何も見えません」。

潜象勘とは心眼のことです。

よく、女性が男性よりも勘が働くといいますね?
女性は男性よりもアワ量が多いからです。

ところが、女性でもサヌキ型の人にはこの勘がないか、少ないか。
なので、物事は「目に見えることでしか判断出来ません」。
また、アワ型でもあまりにも波動量が少ない(=知恵になってない)
場合も、何を見ても何もわかりません。



相似象は物理なので道徳と違って「善悪」が関係ないようで
宗教ではないので「神や仏、天使」が登場しません。
扱いません。
理科みたいな感じ。

アワとサヌキという言葉も初めて知った。

アワとは心
サヌキは行動(超簡単に書くと)
人間は男女ともこのアワとサヌキをそれぞれに持ち合わせているらしい。

で女性はアワが多く男性はサヌキが多いケースが多いそう。

このサヌキとアワだけでもすごく面白い。


<サヌキ・アワ>

サヌキ=判断力=男性型=行動=頭人間=能動的=父性
アワ=感受性=女性型=精神=心人間=受動的=母性

ですが、自分がどちらのタイプか知りたい時の見分け方。

トラブル(喧嘩・怪我など)があった時に

怒る。泣き喚く。怒り方は、怒鳴る、暴力を振るう=サヌキ

泣く。怒り方は拗ねる、脹れっ面をする、へそを曲げる=アワです。
ただし低次の場合ですが。

※女性の中にはサヌキ型でも怒って泣く人がいて、
  それは泣いていてもサヌキ型です。
 泣き方は泣き喚くので分かる。
  さめざめとは泣きません。

また、

それを「するな」というのが我慢出来ない=サヌキ
それを「しろ」というのが我慢出来ない=アワ

という傾向があります。

サヌキはあくまでも行動するし、アワはあくまでも行動しません。
その生まれつきをタチ、その性格の表れをナリといいます。

都会=サヌキ
田舎=アワ
らしい。(分別すると)


<波動量>

波動量とは心の量、知恵、愛などのことですが、
主に感受性・知恵・判断力のことを言います。
波動量の少ない人を低次の人間、多い人が高次の人間です。
上は聖人から下は類人猿レベルまでいるのが人間です。


アワ・サヌキそれぞれのタイプにこの波動量が含まり人間の
レベルが決まっているようです。

俗にいう、器の大きい、小さいっていう表現とか
次元が低い高いとか
人間出来てる、出来てないっていう表現が
この波動量のことだと思う。


<潜在アワ量>

その人が持っているアワ量です。
生まれつき多い少ないがあります。

アワ量が多い人をアワ型人間、少ない人をサヌキ人間と言います。

ただ、生まれつきアワ量が多くても、それだけです。
アワ型人間だ・・・で終わり。

これを波動量に変えて初めて高次の人間
(知恵のある、判断力のある、思いやりのある、人間力のある、徳のある)
になれるのです。

<アワ量の多い人>

アワ量の多い人は数字や物質などの、目に見えるモノでは心が満足しません。
目に見えないモノで心が満足します。

アワ量の少ない人は目に見えるモノで満足します。
金銭・数字・物質です。
何故なら彼らには「目に見えないモノが見えないから」です。

アワ量の多い人はたとえ金銭的に恵まれても、
それだけは虚しくてしょうがありません。
アワ量の少ない人にはこれが理解出来ません。


<アワは見えない>

アワとは潜象なので見えません。
それを見るには心の目が必要です。
これを「心眼」と言います。

昔の人は相似象を知らなくてもたしかにそれ(見る眼)があるってことを
経験で知っていたのです。
昔の人の方が波動量が高かったそうです。

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心の目がない人にはどうやっても見えません。
目の見えない人に見ろというが如し。
不可能なのです。

だから、相似象はそれらの人にとっては不愉快極まりない思想です。
読まない方がいいのです。

アワを見るにはアワが必要です。

<潜象勘>

「せんしょうかん」と読みます。
見えないモノを見る勘、感覚のことです。

見えないモノとは幽霊や天使のことではなく、
他人の心や、状況、理由、原因のことです。



<心があるということ>

ここで言う「心がある」ということは一般的に言われている意味とは違います。

一般的には心があるというと、優しい、思いやりがある、という意味ですが、
相似象ではそのことではありません。

心があって優しかったり思いやったりはしても、それだけでは「心がある」とは言いません。
高次の判断力があって、初めて「心がある」と言います。
相似象の心とは「感受性」のことなのです。

例えば、大変低次の人でも思いやりで行動できますが、
相似象ではその行動のレベルを問題にします。
たとえ思いやりから行動しても、それが「自己中心」や「無知」、
余計なお世話、杞憂、下衆の勘ぐり、蛇足・・・となるなら
その行動は「心がない」と言います。


<少数者>

少数者とは「潜在アワ量の多い、アワ型・サヌキ型人間」のことです。
「波動量の多い人」です。

<良い・悪いがない>

相似象は物理で、道徳ではありません。
なので、良い・悪いはありません。
ただ、事実を観察するだけです。

しかし、低次の人には思考に必ず感情が取り付くので
すぐ良い・悪いの話しになってしまいます。
そういう人には相似象は無縁なので関わらない方がいいでしょう。


相似象には一切感情が入りません。

それを人間的ではない、と思う方にも無縁です。


<アワ>

アワは「受け身のタチ」ですが、「受け入れる」ことと同じではありません。
低次のアワの場合はただ、「受けている」だけで、「受け入れること」が出来ません。
「受け止める」ことが出来ないと言ってもいいです。
受け入れるには高次のアワ(高い波動量)が必要です。
(※この場合の高次とは、相手よりも高次という意味)

つまり相手より高次のアワ人間や高次のサヌキ人間でないと、
相手のことを受け入れられないのです。
ただ、アワとサヌキでは受け入れ方が違うので後で説明します。

低次のアワの人は受身でいるだけで相手を受け入れることが出来ないので、
これが母子だった場合、やはり困ります。
子供の気持ち、考え、要求を受けているだけで、受け入れてやれません。

受け入れるには理解力が必要なのに、それがないからです。
ひたすら「受け」ています。
それで子供はおかしくなります。

だから「あんなに優しいお母さんの子が何故?」ということになるのです。


<低次の人間>
低次の人間の多くは「自力では幸せになれない」。
低次でもマシな部類なら自力で何とか幸せになれます。

アワでもサヌキでも、そうです。
自力で自分を幸せに出来ないのだから、間違っても他人を幸せには出来ません。

ただし、程度(レベル)の違いはありますよ。
千差万別、全ての人間がレベルが違うと言ってもいいでしょう。



<低次と高次>

低次の方は類人猿並から、
高次の方は聖人級までいるのが人間です。

低次から見ると自分より高次の人の言うことは理解出来ません。
ちょっとの差でも「見えないものは見えません」。
高次から低次を見ると「手に取るように見え」たり、
「気を入れれば見えたり」します。


<理解>

ではどうすれば低次の人が高次の人を理解するのでしょう?
不可能なのに。

この場合子供のような純粋な素直な心があれば、
難しいけれど可能です。


<大人の心に子供の頭>

ところが殆どの人は大人の心(アワ)(可変性なし・向上なし)なのです。
自分が大人であると思っています。
わからないことはないと無意識に思っているのです。
子供のような素直で柔軟な心を持った人は稀です。

なのに、判断力(サヌキ)は子供並。
判断力がありません。


これが殆どの人の姿です。


<昔は・・・>

昔の社会はヲサがいて、周囲の人は彼の判断力を理解出来ないまでも
信頼し、素直に従順に従うことが出来ましたが、今はその伝統は崩れました。


なので低次のサヌキ人間のやりたい放題になり、
おとなしいアワ人間が生きづらくなっています。
それで問題が生じているのです。
が、これを政治や教育ではなんとも出来ません。
政治や教育をやってる人間が低次の人間だからです。



<少数者>

少数者とは「潜在アワ量の多い、アワ型・サヌキ型人間」のことです。
「波動量の多い人」です。


ちなみに釈迦やキリストなどは
この少数派に当てはまるらしい。(実在していたら)


<では、どうすれば知恵がつくのか?>

物事を良く見、良く観察することです。
それにはイマを意識することです。
それを「イマイマにキを入れる」と言います。

今、この時に意識を働かす。
無意識で生きない。
方法は簡単です。

それを毎日、一年中一生続けると、知恵がつきます。


<何故知恵がつかないのか?>

それは思考する代わりに感情的になってしまうからです。
感情的になったら思考は出来ません。
そして殆どの人がコレです。
アワでもサヌキでもいます。

落ち着いて冷静に思考できる人は殆どいません。


<観察することです>

相似象がちょっと分かってくると他人が見えるようになります。

次に自分が見えるようになります。
自分を見るとは・・・

自分のことも他人を見るように冷静に見る、ということです。
客観視せよ、ってことです。


○☆*゜¨゜゜・*:..。o○☆*゜¨゜・*:..。o○☆*゜¨゜゜・*:..。o○☆*゜¨



私は若い頃から
このことを知りたくて遠回りしてた気がするな〜。


ちなみに私は低次のアワ型人間のような気がする。
もしくはアワ量の多い低次のサヌキ人間か。(こう書くとわけわからなくなるけど)

とにかく低次だということをはっきりと
確認できたことがとても嬉しい。まぁ低次もピンキリのようですが。


高次の人は人口の7パーセントほどだそうで
私は幸運にもこの高次に当てはまり過ぎる人を身近に知っているので
自分が低次だということもすぐに確信できた。(もちろん知らなくても確信できるけど)

やっぱりあの人は高次でしかもすごくレベルの高い高次なんだな〜と
今まで感じていたその人への想いが深まった感じ。(ちなみに義姉です)

私には真似が出来ない内面のレベルの高さを
会った瞬間に感じた人だったので
この相似象読みながらずっと義姉を思ったり主人を思ったりした。

主人も義姉もすごくレベルの高い人だとは感じていたけど
やっぱり少ないはずだよな〜と思う。

そういう人は
ずっと苦労を背負いこんで生きている。そして
他人にはそれを微塵も感じさせない。これが次元が高いということ。

私には主人の苦労は真似ができないし
普通の凡人には降りかからないような出来事を与えられるのだ。


私は低次なので苦労は出来ないし
その点だけでもレベルが低いと自覚できます。

この自覚するということがどれほど大切かと思いながら
今までこうやって自分のことを客観的に自覚したかったんだろうな〜と思う。




アワだと思うのは行動しない、というのがずばり当てはまるから(苦笑)


いつも思いが先行し、
想いで生きてるようなところがあるから。

主人は逆で動いてないと死ぬタイプ。

でもこのタチのままではだめらしい。(そりゃそうだ)
ぬくぬくな私はドキドキしてしまう。


たまに趣味?な感覚で読んでみようかな〜と思う程度だけど
相似象、面白過ぎます。

相似象の説明などはパンドラさんのHPより
引用させて頂きました。

http://www.pandora333.net/ningen_top.html



宗教と精神世界に満足できなくなっていたちょうど
今、相似象か〜

なんというか日頃モヤモヤと感じていることを
的確に言葉で表してくれている!という感覚で沁みわたりました。





そうそう
こないだアイヌのことを書きましたが
いろいろ調べていると
シュメール人からロシア、モンゴロイドなど
アイヌもいろいろ混ざっているようで
結局は日本人も世界中の人も
みんないろいろ混ざって今に至るんだな〜とこだわることではないという
自分の中での結論になりました。

ちなみに私の顔立ちはすっきり〜の日本人顔だと思うので
アイヌだとしたらもっと違う顔立ちだろうな〜と思いなおしました。



選民思想?かぶれのようにはなりたくないので
アイヌにこだわることはもうしません。
(っていうかアイヌなら選民の逆?迫害されたらしいから微妙だけど・・・)

飛騨の人はやっぱり尊敬するけど。


今日はここ神岡、朝から物凄い雷雨でさっき家が揺れました(雷で)。

百&空は素知らぬ顔で寝ていて私の方が怖かったです。



最近空も一緒にベッドで寝ています。

百も怒らないし、既に食事のとき以外は空気のようです。




















[ 2008/12/05 12:04 ] 嬉しいこと | TB(0) | CM(3)
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[ 2008/12/06 02:31 ] [ 編集 ]
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[ 2008/12/06 05:23 ] [ 編集 ]
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[ 2008/12/06 17:07 ] [ 編集 ]
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